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阿佐
「阿佐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
阿佐の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「服装に就いて」より 著者:太宰治
身の上にも、最近、不愉快な事ばかり起っているのを私は聞いて知っていた。 「じゃ、
阿佐ヶ谷へ行ってみようかね。新宿は、どうも。」 「いいところが、ありますか。」 ....
「黄村先生言行録」より 著者:太宰治
られたという事が、いかにも心外でならなかったらしく、私がそれから一つきほど経って
阿佐ヶ谷の先生のお宅へ立寄ってみたら、先生は已《すで》に一ぱしの動物学者になりす....
「壊れたバリコン」より 著者:海野十三
した。少佐は其の人達を僕に紹介して呉れましたが、一人は参謀の川沼大尉、他の一人の
阿佐谷中尉と二人の兵士は通信係の人達でした。少佐はこれより直ちに僕の家を訪問して....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
わたしの知る限りでも、東京で雷雨の多いのは北|多摩郡の武蔵野町から杉並区の荻窪、
阿佐ヶ谷のあたりであるらしい。甲信盆地で発生した雷雲が武蔵野の空を通過して、房総....
「斜陽」より 著者:太宰治
石というおでんやは、すぐに見つかった。けれども、あのひとはいらっしゃらない。 「
阿佐ヶ谷ですよ、きっと。
阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐにいらして、そうですね、一丁半....
「東京八景」より 著者:太宰治
部を温めた。気が遠くなりかけて、医者を呼んだ。私は蒲団のままで寝台車に乗せられ、
阿佐ヶ谷の外科病院に運ばれた。すぐに手術された。盲腸炎である。医者に見せるのが遅....
「十五年間」より 著者:太宰治
きな空家の、離れの一室で私は「思い出」などを書いていた。天沼三丁目。天沼一丁目。
阿佐ヶ|谷の病室。経堂の病室。千葉県船橋。板橋の病室。天沼のアパート。天沼の下宿....
「花吹雪」より 著者:太宰治
も、親切な教訓ほど、一言で明示する事はむずかしいようである。先日、私が久しぶりで
阿佐ヶ谷の黄村先生のお宅へお伺いしたら、先生は四人の文科大学生を相手に、気焔を揚....
「川端康成へ」より 著者:太宰治
金をもらえることになった。私はさっそく貸家を捜しまわっているうちに、盲腸炎を起し
阿佐ヶ谷の篠原病院に収容された。膿が腹膜にこぼれていて、少し手おくれであった。入....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
特に「浅小竹原」と云ったのもこまかい観察である。もっとも、この語は古事記にも、「
阿佐士怒波良」とある。併しそれよりも感心するのは、一首の中味である、「妾が思ふ君....
「作家の像」より 著者:太宰治
先に立つ。一夜、酒を呑むに当っても、何かと理窟をつけて呑んでいる。きのうも私は、
阿佐ヶ谷へ出て酒を呑んだが、それには、こんな経緯が在るのだ。 私は、この新聞(....
「『井伏鱒二選集』後記」より 著者:太宰治
勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」 私は、
阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶し....
「光は影を」より 著者:岸田国士
さず、なんの気配も感じさせない、一切を彼と彼女から隔てる時と空間の象徴であつた。
阿佐ヶ谷まで、また、電車線路を伝つて歩いた。貨物列車の警笛に、やつとわれに返るほ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
社務所の一室で、私たちは持参のお弁当をひらいた。参拝の人々の記名帳をひらくと、
阿佐ヶ谷文士一行が来ておって太宰治の署名もあったが、呆れたことには、参拝者の大部....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
所載柳田國男君の「鉢叩きと其の杖」の文中に、広島県特殊部落|調を引いて、 広島県
阿佐郡○○村には○○、○、○○、○○などの特殊部落がある。此地の口碑によれば、昔....