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「阿倍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

阿倍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
青春の逆説」より 著者:織田作之助
幣を運転手の膝の上へ落し、何やら囁いた。 多鶴子はおやと思った。その瞬間、車は阿倍野橋まで来たが、彼女の住居のある帝塚山へ行くべく右へ折れずに、不意に左へ折れ....
世相」より 著者:織田作之助
はり焼けていた。焼跡に暫らく佇んで、やがて新世界の軍艦横丁を抜けて、公園南口から阿倍野《あべの》橋の方へ広いコンクリートの坂道を登って行くと、阿倍野橋ホテルの向....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
木曾殿の、掻食わせた無塩の平茸は、碧澗の羹であろう。が、爺さんの竈禿の針白髪は、阿倍の遺臣の概があった。 「お前様の前だがの、女が通ると、ひとりで孕むなぞと、う....
馬地獄」より 著者:織田作之助
な声で、針中野まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛できいた。渡辺橋から市電で阿倍野まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しかけると、いや、歩いて行くつもりだ....
葛の葉狐」より 著者:楠山正雄
一 むかし、摂津国の阿倍野という所に、阿倍の保名という侍が住んでおりました。この人の何代か前の先祖は....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
色になっていて歯の間から舌の先を出しながら唸っていたそうです。そうして母は死に、阿倍野の葬儀場へ送ったその足で、私は追われるように里子に遣られた。俄かやもめで、....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
阪は逞しいもんですよ」 と、さりげなく言って、嘯いておれるだろうか。 いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。 ....
夜光虫」より 著者:織田作之助
うなずいて、 「帰れません」 小さな声で言った。 「どこか宿屋はないかな」 「阿倍野の方へ行ったら、あるかも知れません」 娘が言った。大阪訛だった。 宿屋....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
る俘囚頼時が安倍姓を名乗っているのは、おそらく先祖が運動の結果、夷地に名声の轟く阿倍比羅夫の姓を賜わったものであったであろう。或いはかの奈良朝において夷酋の賜わ....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
天皇東幸の際の御膳の役を勤めたものの子孫だと云う事で、新撰姓氏録には、宍人朝臣・阿倍朝臣などと同じく、大彦命の後だとあるが、宍人とは獣肉を調理する役廻りで、後世....
間人考」より 著者:喜田貞吉
賀臣は孝元天皇の皇子大彦命の子彦背立大稲輿命の子彦屋主田心命の後也とあれば、その阿倍(阿閉とあるも同じ)氏の一族が、さらに分れて間人姓を有するに至ったものであろ....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
討、蝦夷の服従の事実は、たびたび歴史の上に見えておりまして、斉明天皇の御代には、阿倍比羅夫が大いに日本海方面の経営に成功して、今の北海道にまでも、遠征の手を延ば....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
ったじゃないか! 」 こう、梅田の馬さんが大きい声で尋ねた。夏の暑い日の午後、阿倍野葬儀場はとくに暑い。市会議員の連中は休憩所の隅に陣取って、団扇や、扇子で凉....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
の山本郡の地は、『延喜式』時代にはなお夷地に没して、いまだ一郡をなするに至らず、阿倍比羅夫遠征のころの渟代郡のあった場所なのだ。しかるに徳川時代寛文四年郡名整理....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
、自分は彼らがかつて北海道本島にも住んでいたと信ずるものである。斉明天皇の御代に阿倍比羅夫が征伐した粛慎や、養老年間に渡島津軽津の司諸君鞍男が調査に行った靺鞨と....