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阿部
「阿部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
阿部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「世相」より 著者:織田作之助
ていた。 「またとは何だ。あ、そうか、『十銭芸者』も終りに殺されたね」 「いつか
阿部定も書きたいとおっしゃったでしょう。グロチックね」 私の小説はグロテスクで....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、あまり好くも扱われなかったむしゃくしゃ腹で、引け前に廓《くるわ》を飛び出して、
阿部川町《あべかわちょう》の友達を叩き起して泊めて貰った。彼もこの強い風に枕を揺....
「雛がたり」より 著者:泉鏡花
。浅間の社で、釜で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所に日南ぼっこをする婆さんに、
阿部川の川原で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰もので、花の酒宴をする、と言うのを....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
った、もう郡部になろうとするとある小路を、近頃|渾名してAB横町と称える。すでに
阿部|郡であるのだから語呂が合い過ぎるけれども、これは独語学者早瀬主税氏が、ここ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
んなお話があります。嘉永二年|酉歳の五月のことでした。本所入江町の鐘撞堂の近辺に
阿部久四郎という御家人がありまして、非番の時にはいつでも近所の川や堀へ釣に出る。....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
大阪城代が報じたのは寛永十四年十一月十日の事である。大老酒井忠勝、老中松平信綱、
阿部忠秋、土井利勝等の重臣、将軍家光の御前で評定して、会津侯保科|正之を征討使た....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
た。 幸村はここで一先ず息を抜いて、その暇に、明石|掃部助全登をして今宮表より
阿部野へ廻らせて、大御所の本陣を後より衝かせんとしたが、この計画は、松平武蔵守の....
「草迷宮」より 著者:泉鏡花
ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯だが、旅をすれば色々の事がある。駿州の
阿部川|餅は、そっくり正のものに木で拵えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
る壮快極わまる冒険談を喜んで聞いたということであるが、其時座中には堀田正俊だの、
阿部豊後守忠秋だの、又は河村瑞軒などという、一代の名賢奇才などが、臨席していたと....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
いのではあるまいか。 鶴見はこの頃鴎外の書いたものをずっと読みつづけている。『
阿部一族』の中で、高見権右衛門が討手の総勢を率いて引き上げて来て、松野右京の邸の....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
、恐れ入らざるを得ない。何がそうでしょうなだ、何が吉屋信子だ。呆れていると、私に
阿部定の公判記録の写しを貸してくれというのである。「世相」という小説でその公判記....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
用して国際的芝居を一と幕出そうとする野心が内々あったらしい。その頃北京時代の友人
阿部精二へ送った手紙に、「西伯利より露国革命派続々逃込み、中には東京へ来るものも....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
来はすこぶる古いもので、すでに津軽浪岡家の永禄日記十年の条に、同地岩木神社の祠官
阿部氏が、やはり同様の系図を持っていた趣きに見えております。しかも一方に同じ安倍....
「古事記」より 著者:太安万侶
ホビビの命は天下をお治めなさいました。その兄、大彦の命の子タケヌナカハワケの命は
阿部の臣等の祖先です。次にヒコイナコジワケの命は膳《かしわで》の臣の祖先です。ヒ....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
て来ぬかと理事官の有吉君から言って来られた。これ幸いとさきに御厄介になった庄内の
阿部正己君に、同地方遺蹟踏査の御相談に及ぶと、このころはまだ雪が深くてとても駄目....