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陟
「陟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陟の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
山口|駿河は監察(目付)の向山栄五郎(黄村)と共に進み出て、将軍が臣下のことは黜
陟褒貶共に将軍の手にあるべきものと存ずる、しかるに、今朝廷からこの指令のあるのは....
「李陵」より 著者:中島敦
か後悔した武帝が、しばらく後に彼を中書令《ちゅうしょれい》に取立てたが、官職の黜
陟《ちゅっちょく》のごときは、彼にとってもうなんの意味もない。以前の論客司馬遷は....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
「諺に云う――」とかの長官が述べはじめたとき、もっぱらその人の手によって進退|黜
陟《ちゅっちょく》の鍵をにぎられている大主典の堀盛は、例の無表情な顔に立ち戻って....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
たる抽斎が、終生従事していた不朽の労作である。 抽斎の校勘の業はこの頃着々|進
陟していたらしい。森枳園が明治十八年に書いた『経籍訪古志』の跋に、緑汀会の事を記....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
馬ありし例も知らぬ。ただし『遊女記』に小馬てふ妓名を出す。 インドで顕著なは※
陟馬《カンタテム》王で悉達《しった》太子これに乗って宮を脱れ出た。前生かつて天帝....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
。末広一雄君の『人生百不思議』に曰く、日本人は西洋人と異なり、神を濫造し、また黜
陟《ちゅっちょく》変更すと。既に先年|合祀《ごうし》を強行して、いわゆる基本財産....
「旧藩情」より 著者:福沢諭吉
、治世《ちせい》二百五十年の間、三、五名に過ぎず。故に下等士族は、その下等中の黜
陟《ちゅっちょく》に心を関して昇進を求《もとむ》れども、上等に入るの念は、もとよ....
「学者安心論」より 著者:福沢諭吉
によりて然るのみ。 内閣にしばしば大臣の進退あり、諸省府に時々《じじ》官員の黜
陟《ちゅっちょく》あり。いずれも皆、その局に限りてやむをえざるの情実に出でたるこ....
「学校の説」より 著者:福沢諭吉
き、貧書生も学費を省《はぶ》き、書籍に不自由なし。その得、一なり。 一、官には黜
陟《ちゅっちょく》・与奪《よだつ》の権あるゆえ、学校の法を厳にし、賞罰を明らかに....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
国警察を補充し、啻に学堂教務を統ぶるのみならず学堂出身者の任命の詮衡及び進退|黜
陟等総てを委任するという重い権限で監督に任じた。当時の(あるいは今でも)支那の軍....
「三国志」より 著者:吉川英治
訓えているのであった。 さらに筆をすすめては、 宮中府中は倶に一体たり、臧否を
陟罰し、宜しく異同すべきにあらず。もし姦をなし、科を犯し、及び忠善をなすものあら....