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院宣
「院宣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
院宣の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
したのであった。頼朝がこれを希望したのは、奥州における俘囚の長たる御館藤原氏が、
院宣を奉じて頼朝の背後を窺うのに対して、これを討伐すべき適当なる名分を得んがため....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
す魔神として見做されていたのである。源九郎義経が後白河法皇に逼って、兄頼朝討伐の
院宣を強請したについて、法皇やむをえずこれをお許しになったところが、頼朝の憤慨甚....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に、隠逸を捨てたともいえるのである。 さて『千載集』は寿永二年二月に後白河院の
院宣が下って、文治三年九月二十日に撰進されたものであった。序文はその日附になって....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
篇」とよぶ記録の九月五日付ケ鎌倉執達状には、 先帝、叡山ニ還幸、防ギ申スベキノ旨
院宣ヲ下サル云々 などとある。 また、この公文書の表で目につくのは、鎌倉では....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ゅうから密書が出てきた。それは大友、筑州、菊池、平戸、日田、三窪らへ宛てた六通の
院宣だった。――とあるのである。密書や密詔の往来がいかに頻繁だったかが察しられよ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
者のすすめだが、盟主はもちろん西園寺ノ公宗卿で、卿の手から持明院殿(花園上皇)の
院宣を申しうけ、おなじ逼塞なかまの公卿どもをもかたらって、事はもう寸前の機までに....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
りません」 「それは絶好なお取次だ。資名どのを捜し出せ。資名を介して、持明院統の
院宣を請おう。――軍はここまで勝ってきたが、
院宣を持たねば、遂にさいごの実は結ぶ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
乱賊などと、一たんの汚名はうけられました。しかしひそかには、持明院統の御一方から
院宣をいただき、あくまで、大君には仕え奉るおこころざしではいるのです」 「それは....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
、その屋島を、突きくずさんかに、苦心しているところなのだ。 その年の正月二日に
院宣をうけ、同月の中旬頃には、義経はもう摂津の渡辺(大阪)まで、行動を起こしてい....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
あったのである。政治の実際にあらわれたところについて見ても、権臣政治・摂関政治・
院宣政治・幕府政治と、その形態は昔から幾度も変って来たにかかわらず、国体は変らな....