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院宮
「院宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
院宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
爆弾を落として行く。昨日は日本堤の消防署に命中、今日は東京湾の海中に命中。 ◯閑
院宮殿下が薨去された。 ◯目下マリアナ基地にはB29が六百機位いる見込み。 五....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ご》』に「長常という彫物師は類なき上手なり、円山主水応挙も絵の上手なりしが、智恩
院宮諸太夫樫田|阿波守《あわのかみ》という人長常に小柄《こづか》を彫りてよ、応挙....
「大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
がもなくておすみになりましたが、鎌倉では山階宮妃佐紀子女王殿下が御圧死になり、閑
院宮寛子女王殿下が小田原の御用邸の倒かい沼で、それぞれ御惨死なされたのはまことに....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
地であったので、二間ほどそのあき地へ押し出したことが日記に見え、また南の方は不遠
院宮と地続きであったがその不遠
院宮でも同様に西の方へはみ出されたと日記に記されて....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
とは東京市の有する最も尊い宝である。巴里《パリー》の巴里たる体裁《ていさい》は寺
院宮殿劇場等の建築があれば縦《たと》え樹と水なくとも足りるであろう。しかるにわが....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
頼朝の背後を窺わしめ、その勢力を牽制せしめ給わんとしたとの理由もあるべく、一には
院宮・権門らがかの豊富なる奥州の貢金に未練を残したという事情もあったのであろう。....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
ある。その代り彼らは殆ど農奴の境遇にまで堕落してしまった。全国耕地の殆どすべては
院宮社寺権門勢家の荘園となってしまって、彼らはただそれを耕作するの農奴に過ぎなか....