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「院派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

院派の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
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法窓夜話」より 著者:穂積陳重
だはじめ》君、岡山|兼吉《けんきち》君、大谷|木備一郎《きびいちろう》君等の法学院派、その他関|直彦《なおひこ》君、末松|謙澄《けんちょう》君等が発議者の重《お....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
挑んでいた。その体を見て、助九郎にも、初めて分ったのである。 大峰の者か、聖護院派か、見知らぬ山伏だが、年ごろ四十前後の男で、鉄のような五体は、修験の行に鍛え....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
。 いや、まだ解せないものが、それに添えてある三|衣袋の中にあった。阿州普化宗院派僧の印可を焼印した往来手形である。それは、身をつつんで遁れろといわんばかりな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
らの、いわゆる“大覚寺派”といわれる人々にかぎられて、おなじ宮廷の重臣でも“持明院派”と疑われる者は、一名も交じっていない。 大覚寺派とは、何か。 持明院派....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、それなのに不思議はないが、後醍醐の疑惑は、内にあった。朝廷内の異分子やら、持明院派のうごきにもある。 かりに。――み心にそわないそれらの異分子を、反後醍醐と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に、ホクソ笑んでいるものは、おなじ皇統なのに、事ごと、関東へ媚びを送っている持明院派の方々だろう。 そもそも、持明院派の密告行為は、宮方にとり腹心の害をなして....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いこまれた。 なお、遊義門院には、生前、恒性親王という御子があった。しかし持明院派の御母ではあり、ほかに事情もあってか、この御子は、政治的な顧慮から、後宇多の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
や側近らにもうとまれて、とかく帝の寵から遠ざけられていたのも、肉親たちがみな持明院派の公卿だったことの祟りであったのはいうまでもない。――が、鎌倉方ではわざと、....