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「陣所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

陣所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
で、仕方がないというよりも、這々《ほうほう》の体《てい》で本陣を退って、越前勢の陣所へ帰って来たものの、主君の忠直卿に復命するのに、どう切り出してよいか、ことご....
婦系図」より 著者:泉鏡花
て、そこら中水だらけ。 二十七 それ熟々、史を按ずるに、城なり、陣所、戦場なり、軍は婦の出る方が大概|敗ける。この日、道学先生に対する語学者は勝....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
、姉川合戦の前夜、二十七日の夜亥刻(今の十二時)ばかりに、兄の雅楽助、弟斎宮助の陣所に行き、「明日討死をとげる身として何とて不和を残さん。今は遺恨を捨てて、名残....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
て、軍議をこらして、川中島に兵を進めるや、これまた謙信に劣らざる大胆さで、謙信の陣所たる妻女山の西方を素通りして、その西北方の茶臼山に陣した。 謙信が、海津城....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
尉。十三陣中川|清兵衛尉清秀。最後が秀吉旗本である。先陣既に行市山の佐久間盛政の陣所近くに押し寄せ、双方から数百の足軽が出て矢合せしたが、其日はそれ位で空しく暮....
島原の乱」より 著者:菊池寛
った。二月初旬には、九州の諸大名も新手をもって来り会したから、信綱は令して諸軍の陣所を定めた。即ち北岡浜上り西南へ二百二十六間を熊本藩、次の十九間を柳川藩、次九....
真田幸村」より 著者:菊池寛
立っている軍師らしい落着ぶりである。 さて、夕炊も終って後、幸村|徐ろに「この陣所は戦いに便なし、いざ敵近く寄らん」と言って、一万五千余の兵を粛々と押出した。....
小田原陣」より 著者:菊池寛
り。詩歌を吟じ、連歌をなし、音しづかなる所もあり。笛|鼓をうちならし乱舞に興ずる陣所もあり。然ば一生涯を送るとも、かつて退屈の気あるべからず」と『北条五代記』に....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
との戦書をも送った。ところが耕雲斎は藤田小四郎以下三名の将士を使者として金沢藩の陣所に遣わし、永原甚七郎に面会を求めさせた。甚七郎は帯刀までそこへ投げ捨てるほど....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
見屋へ、陣場掲示場跡は戸長役場へというふうに。従来吉左衛門時代からの慣習として本陣所有の土地は、他の金利を見るような地主とは比較にもならないほど寛かな年貢を米で....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
、乱刃を葉之助へ浴びせかけた。一髪の間に葉之助は寝ながら刀で足を払った。一刀流の陣所払い! 負けたと見せて盛り返し、一挙に多勢を屠る極意、しかし普通の場合には、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の縄張を荒させては、我々三ぴんの飯の食い上げじゃによって、これより宇治と勢多とに陣所を構え、或いは案山子《かかし》を立て、或いは偽物をつくり、さんざんにかけ悩ま....
雪の宿り」より 著者:神西清
ず、勢を得た山名方は九月|朔日ついに土御門万里の小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪いとり、愈々戦火は内裏にも室町殿にも及ぼう勢となりました。その十三日には....
二都物語」より 著者:佐々木直次郎
がかりの車から拾い取ることの出来た最初の一掴みの藁を加えれば、その床几はその日の陣所となるのだ。彼のこの持場にいるクランチャー君は、フリート街やテムプル★によく....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
花」という組合わせで開場したのであるが、一番目の四幕目に朝鮮の王妃と王子らが我が陣所に捕虜となっているところへ、朝鮮の勇将征東使伯寧がおなじく捕虜となって来て、....