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陪観
「陪観〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陪観の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
、来ていたのであろう。 長唄が畢ってから、主客打交っての能があって、女芸人らは
陪観を許された。津軽侯は「船弁慶」を舞った。勝久を細川家に介致した勝秀は、今は亡....
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
ロレタリア作家同盟が解散された。その秋の陸軍特別大演習には菊池寛その他の文学者が
陪観させられた。そして林房雄、亀井勝一郎らと当時の思想検事関係者の間に「文芸懇話....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た時に、誰しもその荒唐を疑うの勇気がありませんでした。 一方の隅にかたまって、
陪観《ばいかん》の栄を得ていた忠作は、特に心から感動させられずにはいなかったらし....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
の文化史に、大なる貢献をなしているのである。いま読者の参考に資するために、実隆が
陪観したという遊芸の重《おも》なるものを挙ぐれば、京都のものでは、七条辺に住居し....
「源氏物語」より 著者:紫式部
て行なわれるという評判であったから、後宮《こうきゅう》の人々はそれが御所でなくて
陪観のできないことを残念がっていた。帝《みかど》も藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ることで、何かのおりごとに不快を感じるのであるが、催し事の見物は好きで、東宮席で
陪観していた。日がよく晴れて青空の色、鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親王方、....
「源氏物語」より 著者:紫式部
きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。源氏も参内して
陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に大弐《....
「源氏物語」より 著者:紫式部
た時に、権中納言と、右衛門督が出て短い舞をしたあとで紅葉の中へはいって行ったのを
陪観者は興味深く思った。昔の朱雀院の行幸に青海波が絶妙の技であったのを覚えている....
「源氏物語」より 著者:紫式部
仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会であった。第五巻の講ぜられる日などは御
陪観する価値の十分にあるものであったから、あちらこちらの女の手蔓を頼んで参入して....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
、オランダ、カナダ、ニュージランドなどの代表が調印したそうです。日本人記者二名が
陪観し、その艦上にペルリが下田へ来たときたてていた星条旗と真珠湾に翻っていた旗と....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
その左は局の席、その右は西丸詰めの諸士達の席である。本丸からも見物があり、家族の
陪観が許されたのでどこもかしこも人の波、広い見物席は爪を立てるほどの隙もなかった....
「三国志」より 著者:吉川英治
きも態度も、曹操は初めから虫が好かない。 しかも、彼の誇る、虎衛軍五万の教練を
陪観するに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
田楽見物が行われた。 もちろん、高氏を主賓に。 そしてその晩は、家中一同にも
陪観をゆるされ、人影は桟敷の外まであふれたが、とりわけ、道誉のそばには、盛装した....
「柳生月影抄」より 著者:吉川英治
家光は、友矩のことばに、興を唆られて、十兵衛を呼べ、とすぐに云い出した。だが、
陪観者の中には十兵衛の姿が見えなかった。近習たちは、 「たしか見えた筈だが」 ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
仏国の有名な軍事著述家でフリードリヒ大王の殊遇を受け、一七七三年には機動演習の
陪観をも許されたGuibertは一七八九年の著述に「大戦争は今後起らぬであろう。....