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陸地測量部
「陸地測量部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陸地測量部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「上高地風景保護論」より 著者:小島烏水
最も混雑する時は、一日に九十人位を泊めることがあったそうである、現に我参謀本部の
陸地測量部が、大正元年測量したばかりの槍ヶ岳焼岳二図幅(五万分一図)を、翌年製図....
「日本山岳景の特色」より 著者:小島烏水
白峰連嶺、中央は木曾山脈、北は濃飛高原からかけて、飛騨山脈に至るまで、参謀本部の
陸地測量部員や、日本山岳会会員によって、縦走せられて、前人未踏などいう聖地も、処....
「白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
花の間を抜き足をして、やっと南農鳥山の二等三角測量標の下に来た、おそらく参謀本部
陸地測量部員が、野営をした跡ではあるまいかと思われる、ちょっとした平地へ出た。 ....
「谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
吉は考えていたが、少し戻り気味に岩石の盛り上った堤防を越して、大雪田の頭に出た、
陸地測量部員が、去年泊まった跡だとかいう、石を均らして平坦にしたところがあって、....
「伊吹山の句について」より 著者:寺田寅彦
あるが、大垣から見れば、それほど突兀たる姿をしていないだろうという事は、たとえば
陸地測量部の五万分一の地形図を見ても、判断する事ができる。大垣停車場から、伊吹山....
「小浅間」より 著者:寺田寅彦
力している多くの熱心な元気な若い学者たちにきわめて貴重なデータを供給するために、
陸地測量部の人たちが頻繁な爆発の危険に身命をさらしながら爆発の合い間をねらっては....
「札幌まで」より 著者:寺田寅彦
九月二十九日。二時半上野発。九時四十三分仙台着。一泊。翌朝七時八分青森行に乗る。 仙台以北は始めての旅だから、例により
陸地測量部二十万分の一の地図を拡げて車窓から沿路の山水の詳細な見学をする。北上川....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
明治二十一年刊行農商務省地質調査所の日光図幅なりとす、その一年前に刊行されたる、
陸地測量部の輯製二十万分一図日光図幅には、中岳と記されたり、誤記か誤植かとも思わ....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
色して、此処にも一つあったと漸く探し出されるほど、顕著でない山なのである。自分も
陸地測量部の男体山図幅が出版されて、始めて「皇海山、二千百四十三米五」ということ....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
っても、霽れそうもなければ、正午一行と別れ、予とフ氏とは、嘉門次父子を先鋒とし、
陸地測量部員の他、前人未知の奥穂高を指す。北の方|嶮崖を下る八、九丁で、南穂高と....
「案内人風景」より 著者:黒部溯郎
うべき頃の登山者たちは、概ね、猟師とか、岩魚釣りとか、杣人の類か、または、かつて
陸地測量部の人夫として働いた事があるというような人を、辛うじて探し出して、頼むべ....
「層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
岳を高しとせるが、距離は旭岳が遠しと思わるるに、我が目には北鎮岳よりも高く見ゆ。
陸地測量部のこのあたりの五万分図は未だ世に発行するに至らざるが、測量は既に終れり....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
も云ふ。(雪譜並に信濃奇勝等) 「ケット」今は「穴藤」または「結東」などと書く。
陸地測量部五万分一図を案ずるに、中津川の上流秋成村の中に、村役場所在地より上る事....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
利用の道があるものだ。 自分の昨日下車した車駅を後三年駅という。近年の新設で、
陸地測量部の地図には載っておらぬ。地図をたよりに金沢柵址踏査の旅程を予定した自分....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
字産所というもの。元禄地図には石橋の付近にあって、高百三十八石余とみえ、参謀本部
陸地測量部の輯製二十万分一図にも、市場の付近に記入してあるが、これまた今は一戸も....