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「陸奥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

陸奥の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
偸盗」より 著者:芥川竜之介
まで、話して聞かしたわ。――そうそう、あの馬は太郎さんに頼んで盗ませようかしら。陸奥出《みちのくで》の三才駒《さんさいごま》だっていうから、まんざらでもないわね....
」より 著者:芥川竜之介
書紀によると、日本では、推古《すいこ》天皇の三十五年春二月、陸奥《みちのく》で始めて、貉《むじな》が人に化けた。尤《もつと》もこれは、一本に....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
》の朝臣、――皆大同小異ではないか? ああ云う都人もおれのように、東《あずま》や陸奥《みちのく》へ下《くだ》った事は、思いのほか楽しい旅だったかも知れぬ。」 「....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
ない。ここでは唯、彼女が道連れの少年よりも更に美しく輝いた気高い顔をもっていて、陸奥《みちのく》の信夫摺《しのぶず》りのような模様を白く染め出した薄萌黄《うすも....
仇討三態」より 著者:菊池寛
ら天保、弘化、嘉永、安政と、三十年間、日本国中を探し回った。幸太郎が安政四年に、陸奥国牡鹿郡折の浜の小庵に、剃髪して黙昭と名乗って隠れて忍んでいる休右衛門を見出....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
ってしまいなさいよ。オーさん」 「飛行船隊の中から、一隻、アクロン号というのが、陸奥湾を横断して、唯今、野辺地の上空を通っているのだ」 「どこへ、逃げてゆくのか....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
は二個の大きな碑が建てられて、一方は太政大臣|三条実美篆額、斎藤竹堂撰文、一方は陸奥守藤原慶邦篆額、大槻磐渓撰文とある。いずれも林子平の伝記や功績を記したもので....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
を為すつもりである。即ち、浅木附近大宮|表へは馬場美濃守信房先鋒として、部将穴山陸奥守梅雪(勝頼の妹聟)以下、真田源太左衛門信綱、土屋右衛門昌次、一条右衛門|大....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
顕氏の軍を破り、正行は初陣の武名を挙げたのである。 『細々要記』に「京都より細川陸奥守以下数十人河内発向藤井寺に陣す。其夜正行等不意に寄せ来り合戦。京勢敗北死人....
太平洋魔城」より 著者:海野十三
彼のあごも、ぶるぶるとふるえている。 「君までがそんなことで、どうするのだ、戦艦陸奥が来ようと、航空母艦のサラトガが来ようと、わが海底要塞の威力の前には一たまり....
空襲下の日本」より 著者:海野十三
、小笠原の辺で砲火を交えている日米の主力艦隊の運命が決っている頃だろうが、きっと陸奥や長門は、ウエストバージニアやコロラドを滅茶滅茶にやっつけているだろうと思う....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
死するに臨みて、必ず賊を滅せよとさへ遺言したり。親房の子顕家、鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付頭人となりて国政に参与したり。後に下野守護と....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
出来なかったのである。 その後十一年、養和元年八月十五日に至って、秀衡はついに陸奥守に任ぜられた。これは清盛の薨後その子宗盛が、秀衡をして頼朝の背後を襲わしめ....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
たくかけ離れたものはしばらく別として、オシラサマ一類の名称のみを観察してみても、陸奥八戸地方ではオヒラサマといい、黒石地方ではオヒナサマと呼ぶと佐々木君は言って....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
た政治的・地理的な事実が背景となっていたため、西は九州、東は信州・北陸から関東・陸奥にかけ、常に連絡も取れたし、それに北条氏討伐御計画の頃、護良親王の令旨は全国....