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「陸奥国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

陸奥国の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討三態」より 著者:菊池寛
ら天保、弘化、嘉永、安政と、三十年間、日本国中を探し回った。幸太郎が安政四年に、陸奥国牡鹿郡折の浜の小庵に、剃髪して黙昭と名乗って隠れて忍んでいる休右衛門を見出....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
を慕って栽えさせたのである。当時漁村は六十二歳で、躋寿館の講師となっていた。また陸奥国八戸の城主|南部遠江守信順と越前国|鯖江の城主|間部下総守|詮勝とから五人....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ゆる山の井の浅き心を吾が思はなくに 〔巻十六・三八〇七〕 前の采女某 葛城王が陸奥国に派遣せられたとき、国司の王を接待する方法がひどく不備だったので、王が怒っ....
忠義な犬」より 著者:楠山正雄
一 むかし陸奥国に、一人のりょうしがありました。毎日犬を連れて山の中に入って、猪や鹿を追い....
一本のわら」より 著者:楠山正雄
ありませんか。」 といいました。下男は、 「ええ、これは大金を出して、はるばる陸奥国から取り寄せた馬で、これまでもいろんな人がほしがって、いくらでも金は出すか....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
百官の位階を進めて天下に大赦し、……天平二十一年を改めて天平感寶元年となし、……陸奥国の調庸を免ぜらるること三年、小田郡は永免となり、其の年の天下の田租を免ぜら....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
」に、祖宗以来武をもって国を立て、東「毛人を征する五十五国」とあり。また承和二年陸奥国司の「解文」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を玩味する....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
であった。しかも宗盛が推挙の理由とするところに至っては、すでに大半虜掠されている陸奥国のことであるから、今さら惜しむには足らぬというに至っては沙汰の限りであるが....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
もその住民を以て、例によって眼の色が違うの、言葉が違うのなどと云っている。人国記陸奥国の条に、「此の国は日の本故に、色白うして眼青みあり」などともあって、昔から....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
に多かったに違いありません。奈良朝の頃|神護景雲三年に、浮宕の百姓二千五百余人を陸奥国伊治城に置くとか、平安朝の初め延暦二十一年に、駿河・甲斐以東諸国の浪人四千....