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隆昌
「隆昌〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
隆昌の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
第三の男は語る。 「唐代は詩文ともに最も
隆昌をきわめ、支那においては空前絶後ともいうべき時代でありますから、小説伝奇その....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
第十三の男は語る。 「清朝もその国初の康煕、雍正、乾隆の百三十余年間はめざましい文運
隆昌の時代で、嘉慶に至って漸く衰えはじめました。小説筆記のたぐいも、この
隆昌時代....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
作り両親の手助けをして、あっぱれ孝子の誉れを得て、時頼公に召出され、めでたく家運
隆昌に向ったという、これは後の話。 さて、浅田の狡智にだまされた青砥左衛門尉藤....
「昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
た。慌しく忙しく流行作家は長篇を書き下しつづけたのであったが、この商業的な文学の
隆昌が、昭和十四年度にははっきり文学のインフレ景気という名称を蒙って、出版界の賑....
「荒蕪地」より 著者:犬田卯
りをしきりに撫で廻した。 続いて前村長は、農業衰退の必然性と、重工業、軍需工業
隆昌についての世界的な見透しに関して高邁な意見を一くさり述べてから、少しく声を低....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
無い。 小野妹子の風采閑雅威儀厳然たる様子を見て、煬帝が驚き、心ひそかに我国の
隆昌を察し、裴世清を我国に遣わした如きもその例の一つであり、文武天皇様の大宝元年....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
そして上に万世一系の皇室を戴き、歴代天皇の御稜威はいやが上にも輝いて、以て今日の
隆昌なる国運を成すに至ったのでありますが、またそれと同じ様に私ども日本民族も、こ....
「三国志」より 著者:吉川英治
こんでおる。 御身もまた我との誼みをわすれはしまい。 近ごろ御身の呉国はいよいよ
隆昌に向い、文武の大将も旗下に多いと聞く。この際、我と力をあわせ、呂布を討って、....
「三国志」より 著者:吉川英治
が点ったであろうか。 ここ許昌の都に、朝廷を定められて以来、本来ならば、王道の
隆昌と漢家の復古を、万民と共に、祝福して、帝の御気色をうるわしくしなければならな....
「三国志」より 著者:吉川英治
に忘れさせるためである。 呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。 南方の天、
隆昌の気がみなぎっていた。 いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍....
「三国志」より 著者:吉川英治
六度|祁山に出づ」 という報に接したときには、 「明なる哉。これ蜀の敗滅、魏の
隆昌。天運果たしてこの事をすでに告ぐ」 と、勇躍、詔を拝して、かつて見ぬほどな....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
の二次の大乱直後。源ノ義朝一族は敗れ、清盛の六波羅平氏が、ひとり都に武門として、
隆昌の兆しを示している。 〔政情〕天皇二条のほか、なお後白河上皇の院政があり、新....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
あった。 加うるに、この黒田家へは、このとき天が麒麟児をめぐんで、家運いよいよ
隆昌を見せた。――その官兵衛を総領に、弟小一郎、ほか二人の妹があったが、何といっ....