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隋
「隋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
隋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
、帝|敬に対えたまわく、燕王は骨肉至親なり、何ぞ此に及ぶことあらんやと。敬曰く、
隋文揚広は父子にあらずやと。敬の言実に然り。揚広は子を以てだに父を弑す。燕王の傲....
「李陵」より 著者:中島敦
かであった。武帝はけっして庸王《ようおう》ではなかったが、同じく庸王ではなかった
隋《ずい》の煬帝《ようだい》や始皇帝《しこうてい》などと共通した長所と短所とを有....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ず崑崙関を破り、さらに智高を破り、※(鉄囲山叢談) 古御所 洛陽の御所は
隋唐五代の故宮である。その後にもここに都するの議がおこって、宋の太祖の開宝末年に....
「海神別荘」より 著者:泉鏡花
子をこちらへ。 侍女三、四、両人して白き枝珊瑚の椅子を捧げ、床の端近に据う。大|
隋円形の白き琅※の、沈みたる光沢を帯べる卓子、上段の中央にあり。枝のままなる見事....
「連環記」より 著者:幸田露伴
の流れ静かにして水は玉の如き寂心が魔訶止観を学び承けようとしたのであった。止観は
隋の天台智者大師の所説にして門人|灌頂の記したものである。たとい唐の※に響いたの....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、仏教の渡来以後は急速に文字が普及したことは確実だ。とりわけ聖徳太子が現れるや、
隋へ大使や学問僧を送って文物をとりよせ、憲法をつくり、十二階を定め、七大寺をたて....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
居り、美に於ける精神の優位を語る根本の問題である。様式のみからいえば大陸の六朝や
隋の移入が目立ち、まだ土着自生の域に達していない。聖徳太子が法隆寺の建築其他に於....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
功皇后様の朝鮮御討伐に源を発しているのである。 次に推古天皇様の御宇十五年に、
隋と交通し、はじめてわが国から遣
隋使として小野妹子をつかわし、聖徳太子様御自らお....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
の宗旨である。これは親鸞聖人、日蓮聖人の教えと似たようなものでありますが、それが
隋の時代から唐の時代に行われた。
隋の信行禅師が唱え出して唐の時代にまで行われたの....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
れを枕言葉として、「日の本のヤマト」なる称呼が用いられた。かくて推古天皇の使いを
隋に遣わし給うに及んで、初めてその義にとって、「日出処」または東の文字を用い給う....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
多く遺っている。昔敏達天皇の御代に当って、真野の長者という金持が百済の僧蓮城を、
隋の南岳恵思禅師の許から招聘して、ここに建立したのだと云われている。このほかに同....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
でも遡りうるものかも図り難い。しかしながら支那においても、その盛んに行われたのは
隋唐以来の事であったらしく、我が国においては所謂古墳時代末期の遺物として、墳墓中....
「獅子舞雑考」より 著者:中山太郎
や大阪の天王寺の獅子舞は、ともに有名なものであって、しかもその創始期は、獅子舞が
隋唐の文化とともに、我国に輸入された奈良朝まで溯ることが出来るように思われる。さ....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
の関係の特色が示されているように説くことも行われているが、この詔勅というものは『
隋書』高祖本紀に見えている高祖の遺詔を殆どそのままに写しとったものであり、そうし....