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「随従〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

随従の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
川中島合戦」より 著者:菊池寛
平氏である。元来相州長尾の荘に居たので、長尾氏と称した。先祖が、関東から上杉氏に随従して越後に来り、その重臣となり、上杉氏衰うるに及んで勢力を得、謙信の父|為景....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の如くに見ゆる男一人、その胸のあたりにはなまなましい血を流していた。そのほかにも随従の者大勢、列を正しく廊下づたいに奥殿へ徐々と練って行った。 呉と従者は急い....
十二支考」より 著者:南方熊楠
る広野に会合し、獅子より兎に至る諸獣と、鷲より鶉《うずら》に至る諸禽とことごとく随従して命を聴かざるなし、二王ここにおいてあまねく林野|藪沢《そうたく》に宣伝せ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、その風体《ふうてい》を見ると、今の流行の壮士風、大刀を横たえたのが数名、それに随従する無頼漢風のが数名。先頭に立った一人が、恭《うやうや》しく三宝を目八分に捧....
源氏物語」より 著者:紫式部
る物見車が思われた。源氏の光がまた発揮される時代になっていて、希望して来た多数の随従者は常陸《ひたち》の一行に皆目を留めて過ぎた。九月の三十日であったから、山の....
三甚内」より 著者:国枝史郎
し、神田お玉ヶ池附近に道場を構え剣術の指南もっぱらなり。ここに甚太郎は十一歳より随従して今年二十二歳、円明流の奥儀悉く伝授を得て実に武蔵が高弟となれり。これによ....
興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君|上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御留守遊ばされ候。景一は京都赤松殿|邸にあ....
竹本綾之助」より 著者:長谷川時雨
《ふところ》のさびしいのは隊を組んで歩いて廻る。もすこし熱狂に近いのは女王の車へ随従して車で乗廻す。それよりも激しいのは人力車《くるま》の轅《ながえ》につかまっ....
瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
なれば、幕臣また諸藩士中の佐幕党《さばくとう》は氏を総督《そうとく》としてこれに随従《ずいじゅう》し、すべてその命令に従て進退《しんたい》を共にし、北海の水戦、....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
論ぜず。 三 以上述べたる国貞国芳国直ら豊国門下の画工にはまた更に無数の門弟の随従するあり。文政天保以後の平民画壇は実にこれら歌川派の群小画家を以て満たされた....
西瓜」より 著者:永井荷風
のは官吏である。官吏の中その勲功を誇っていたものは薩長の士族である。薩長の士族に随従することを屑《いさぎよ》しとしなかったものは、悉く失意の淵に沈んだ。失意の人....
「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
治ろしめすべく、降臨し給うたものと信ぜられている。したがって我が天孫並びにこれに随従した諸神は、決してこれらの先住民族を虐待し、或いはこれを駆逐し、或いはこれを....
間人考」より 著者:喜田貞吉
るにある。 「間人」の文字は旧事本紀天神本紀に初めて見えている。饒速日命の天降に随従した三十二人の供奉の人々の中に、天玉櫛彦命は間人連等祖とあるのがこれで、「間....
山の人生」より 著者:柳田国男
しく延年益寿の術を訊ねた。異人答えて曰く、もと修するの法なし、かつて九郎|判官に随従して高館にいるとき、六月|衣川に釣して達谷に入る。一老人ありて招きて食を供す....
放免考」より 著者:喜田貞吉
列の事は、本編の研究に必要がないからここにこれが記述を省略して、以下単に検非違使随従の放免の事のみを記述してみたいのである。 言うまでもなく往時の検非違使庁は....