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随行
「随行〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
随行の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「路上」より 著者:芥川竜之介
村さんの御都合で極《き》めて頂けば好いわ。」
「僕が極《き》めるって――じゃ僕も
随行を仰せつかるんですか。そいつは少し――」
野村は五分刈《ごぶがり》の頭へ大....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
十キロ、略西方に向けて航空中なり。尚、該隊には、先導偵察機五機、戦闘機十四機を、
随行せしめつつあり。終り」 これを聞いた将校たちは、互に顔を見合わせたのだった....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
府へ尋問の廉有之、明後十七日県下|登程、陸軍少将桐野利秋、篠原国幹及び旧兵隊の者
随行致候間、其台下通行の節は、兵隊整列指揮を可被受、此段|及照会候也。 明....
「運命」より 著者:幸田露伴
od の訳、メッカ、アラビヤ)等に至れり。明史外国伝西南方のやゝ詳なるは、鄭和に
随行したる鞏珍の著わせる西洋番国志を採りたるに本づく歟という。 胡※|嘗て武当....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
の珍の皇子、当時筑紫路から出雲路にかけて御巡遊中の小碓命様なのでございました。御
随行の人数は凡そ五六十|人、いずれも命の直属の屈強の武人ばかりでございました。序....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
唐使随員の母 天平五年夏四月、遣唐使(多治比真人広成)の船が難波を出帆した時、
随行員の一人の母親が詠んだ歌である。長歌は、「秋萩を妻|問ふ鹿こそ、一子に子|持....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
室に当るところは、山峡に入口が設けられており、ためにここから見ることはできない。
随行の放善坊は、海津城の動勢よりも松代大本営の設計に多大の興味を覚えた如くであっ....
「鷲」より 著者:岡本綺堂
も又次郎にかぎらず、たとい部屋住みでも十五歳以上の者は見習いとして、その父や兄に
随行することを黙許されていた。 見習いというのであるから、役向きの人々の働きを....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
したが、次兵衛の姿はどこにもなかった。彼をかくまった小者の姿もなかった。 彼に
随行していた小者(塩焼きかね)与一郎という者は三十五日の山狩が終った後になって捕....
「髪」より 著者:織田作之助
たまま点呼を受けた。査閲の時点呼執行官は私の顔をジロリと見ただけで通り過ぎたが、
随行員の中のどうやら中尉らしい副官は私の鼻を問題にした。 傍にいた分会長はこ奴....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
は廿九歳の時なり。先生|咸臨丸米行の挙ありと聞て、予が親戚医官桂川氏を介してその
随行たらんことを求められしに、予はこれ幸の事なりと思い、直ちにこれを肯んじ、一|....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
表的のものと申上ぐべきであろう。 小野妹子の帰朝に際し煬帝は裴世清という家臣を
随行させ煬帝よりの国書を奉呈せしめた。その文章の中に「皇帝倭皇に問う」という文字....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
にあたかも露西亜から帰着した後藤男を敦賀に迎え、その翌日は米原まで男爵と同車し、
随行諸員を遠ざけて意見を交換したそうだ。如何なる意見が交換されたかは今なお不明で....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
わなくちゃあならん」といって引っ捉まえるです。で、なかなか渡さない。すると花嫁の
随行者はその要償金の幾許を与えて、まず安全の通過を希いここに始めて通過し得らるる....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
文) 葵祭に出る放免は検非違使庁の下部として、勅使の警固に立つ検非違使の官人に
随行しているものである。当初は無論実用の鉾を持って、もし行列を犯すものでもあれば....