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随身
「随身〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
随身の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
のち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某《たんごのかみなにがし》の
随身に、驍勇《きょうゆう》の名の高い男の通るのを見て、あれが太郎だと人に教えた事....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
挨拶をうしろに聞きながら、半七は観音堂の段をのぼって行った。参詣も済んで、横手の
随身門を出ると、庄太があとから追って来た。 「親分。つまらねえ散財をしましたね。....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ません」 「それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社の入口から
随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
聞いた武田の遺臣ども、武骨者だけに感激するのも早く、我も我もと安い月給で徳川家に
随身したそうであるが、これを今日の皮肉極わまる歴史家どもに云わせると、「なあにそ....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
から高野へ送った武田家品物の目録書の稿の中に、飯縄本尊|并に法次第一冊信玄公|御
随身とあることが甲斐国志巻七十六に見えているから、飯綱の法も行ったか知れぬ。 ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
政宗に対して予《かね》てからイヤ気を持って居た者は、政宗に付いて居るよりも氏郷に
随身した方が吾《わ》が行末も頼もしい、と思うに至るのも不思議では無い。ここに政宗....
「一枚絵の女」より 著者:国枝史郎
た。 「無理な算段などなされずにねえ」 「大丈夫だよ、大丈夫だよ」 今日も浅草
随身門内の、水茶屋難波屋の店に立って、おきたは客あしらいに余念なかった。 白飛....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
えば不思議のことで、当時にあっても問題とされたが、しかし正雪は自殺したし、その他
随身一同の者もあるいは捕らえられ又は殺され、そうでない者は自殺して、取り逃がした....
「郷介法師」より 著者:国枝史郎
まで参りましてござります。承わりますれば最所殿には士を愛する名君との事、願わくば
随身仕り、犬馬の労を尽くしたく、そのため参上致しましてござるが、貴意いかがにござ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
れから、この浅草寺ですが、混淆時代は三社権現が地主であったから|馬道へ出る東門(
随身門)には矢大臣が祭ってあった。これは神の境域であることを証している。観音の地....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
名代の紅梅焼きがありました。 観音堂に向っては右が三社権現、それから矢大臣門(
随身門のこと)、その右手の隅に講釈師が一軒あった。 門を出ると直ぐ左に「大みつ....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
練り出されるのであった。 七基は二の鳥居前より甲州街道の大路を西に渡り、一基は
随身門の前より左に別れ、本町宿の方から共に番場宿の角札辻の御旅所にと向うのであっ....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
るものだ、と、サア・クリストファが指摘した。それよりもむしろ、一身の護衛として、
随身の精兵数百を従える程度で、ノンサッチにクウ・デタを行なうほうが賢明であろうと....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
もしれぬ。 散所雑色の名称について考え合わすべきものは、『小右記』にみゆる散所
随身の語である。 同書長和二年正月四日条に、 勤|者。 とある。『小右記』は....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
の濃い葩からは、宵に降った雨の名残の雫がはらはらと滴っている。石の瑞牆を廻らした
随身門の内にも桜が多い。それが濃緑の大きな杉森を背景として、くっきりと白く浮き出....