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隠栖
「隠栖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
隠栖の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「明暗」より 著者:夏目漱石
移った。津田の知らない間《ま》に、この閑静《かんせい》な古い都が、彼の父にとって
隠栖《いんせい》の場所と定められると共に、終焉《しゅうえん》の土地とも変化したの....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
んな時ではないぞと言ってくれるような人はなおさらない。久しく訪ねない鉄胤老先生の
隠栖へも、御無沙汰のおわびをかねてその相談に訪ねて行って見ると、師には引き止めら....
「道標」より 著者:宮本百合子
このパン・オイロープという不在のひとの名と仕事のために、ウィーンの郊外の老人の
隠栖も時々は賑わされている様子だった。伸子と素子とを、この老夫人の客間へつれて行....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
った。羅摩これを見て大いに悔い、二子にその国を頒《わか》ち、恒河の辺《あたり》に
隠栖《いんせい》修道して死んだというのが一伝で、他に色々と異伝がある。 この譚....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、足利《あしかが》の末の時代でもございましたろう、川越三喜という名医が、この地に
隠栖《いんせい》を致しましてな、そうして釣を垂れて悠々自適を試みていましたそうで....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ば今以上な禍《わざわ》いが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。源氏が
隠栖《いんせい》の地に擬している須磨《すま》という所は、昔は相当に家などもあった....
「源氏物語」より 著者:紫式部
いるのですが、今日船を私のために寄せてくだすってありがたく思います。明石には私の
隠栖《いんせい》に適した場所があるでしょうか」 入道は申し入れの受けられたこと....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
を保てよ。 夏の終わりごろ。パリーの一友人がスイスを通りかかって、クリストフの
隠栖《いんせい》を見出した。そして彼に会いに来た。それは音楽批評家であって、彼の....
「風博士」より 著者:坂口安吾
失うたのである。然り、義経及びその一党はピレネエ山中最も気候の温順なる所に老後の
隠栖を卜したのである。之即ちバスク開闢の歴史である。しかるに嗚乎、かの無礼なる蛸....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
ない。凡庸の師をも本師道善房といって、「表にはかたきの如くにくみ給うた」師を身延
隠栖の後まで一生涯うやまい慕うた。父母の恩、師の恩、国土の恩、日蓮をつき動かした....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
、もう八十にも近いかと思われる、髪の真白な、面長の老人だった。 次郎は、山奥に
隠栖している剣道の達人をでも見るような気がした。彼は、何かの本で、宮本武蔵が敦賀....
「軽女」より 著者:上村松園
わせている、あのお軽には、わたくしは限りない好ましさを感じるのである。 山科に
隠栖し、花鳥風月をともにして、吉良方の見張りの眼を紛らわしていた大石内蔵助は、し....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ように待っているという状態である。 まだまだそこらの名のある牢人は、それぞれ、
隠栖しても一かどの権式も生活力も持っているが、これが奈良の裏町あたりへゆくと、ほ....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
家記によると、弦之丞は両刀をすて、農となってその地で終っている。子孫があった点や
隠栖した土地の縁故を考えても、明るい山村の耕地に、麦を踏み、鍬をもって、良人とと....