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「隠棲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

隠棲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三人の双生児」より 著者:海野十三
、とにかく亡くなった君たちの母親は、真一と君とを生んだのに違いない。これは徳島に隠棲しているその時の産婆の平井お梅というのを探しだして聞きだしたのだ。書いて貰っ....
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
トイフガ如キ今日、武ヲ知ラザレバ卑屈ノ想多シ」 「山中ニ濁世厭離ノ穴ヲ見ツケテ、隠棲成ス所以ハ」 「ワレ信州ニカクレモナキアバタ面、即チ余人月並連中トハ、些カ趣....
島原の乱」より 著者:菊池寛
村に隠れて出でようとはしなかったのである。 行長の遺臣益田甚兵衛|好次はそれら隠棲の浪士の一人である。始め肥後宇土郡|江辺村に晴耕雨読の生活を送ること三十余年....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ろには、寛斎は中津川の家を養子に譲り、住み慣れた美濃の盆地も見捨て、かねて老後の隠棲の地と定めて置いた信州伊那の谷の方へ移って行った。馬籠にはさびしく旧師を見送....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
考えに半蔵はやや心を安んじて、翌日はとりあえず、京都以来の平田|鉄胤老先生をその隠棲に訪ねた。彼が亡き延胤若先生の弔みを言い入れると、師もひどく力を落としていた....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
て、其のドン底に潜むの悲痛を描いて以て教えなければならぬ。今日以後の文人は山林に隠棲して風月に吟誦するような超世間的態度で芝居やカフェーにのみ立籠っていて人生の....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
のを、日蓮は祈願をこめてこれを癒した。日蓮はいたって孝心深かった。それは後に身延隠棲のところでも書くが、その至情はそくそくとしてわれわれを感動させるものがある。....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
コマ五郎は無罪放免になったということである。また喜兵衛によく似た老人が秋田山中に隠棲してヘップリコを食うこともなく大正末期に至るまで長生きしたという話を私は風の便りにきいた。....
岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
た。 土地にいることが出来なかった。 このころ東巖子という仙人が、岷山の南に隠棲していた。 で、李白はそこへ走った。 聖フランシスは野禽を相手に、説教を....
次郎物語」より 著者:下村湖人
出し、今度は地図をもって、もう一度あの辺を歩きまわってみようということになった。隠棲の剣客のような感じのした白野老人と、快活で親切だった日田町の田添夫人とは、ぜ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
となって、浅草絵の名は今では全く絶えてしまった。 椿岳の浅草人形というは向島に隠棲してから後、第二博覧会の時、工芸館へ出品した伏見焼のような姉様や七福神の泥人....
西航日録」より 著者:井上円了
仏に供養するがごとし。 二十日、同地植物園を一覧し、市場を遊歩し、当時この地に隠棲せる康有為君を訪う。余、拙作一首を示すに、君これに和す。その詩に曰く、 ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
日記の『台記』にしるされている。だから山寺にこもっても世捨人の心を清くするための隠棲であって、決して宗教の社会に翼をひろげようとして大僧正をねらうというような、....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
皇の皇子春日王の後だなどとも云っている。春日王は癩病になられたがために、奈良坂に隠棲し給い、その子の弓削浄人がこれを孝養するについて、朝|夙く起きて市中に花売を....
俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
いた場合に初めて十分の意味を表してくるのであります。真田は死を逃れて志度山の麓に隠棲しておったのであります。その真田の心持になってみると、あの時死んでいたらもう....