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隼人
「隼人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
隼人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古千屋」より 著者:芥川竜之介
だった。……
しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に控《ひか》えていた成瀬
隼人正正成《なるせはいとのしょうまさなり》や土井大炊頭利勝《どいおおいのかみとし....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正《もうりもんどのしょう》を、水野|
隼人正《はやとのしょう》が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所《ち....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
大坂の落城は、もう時間の問題であった。後藤又兵衛、木村|長門《ながと》、薄田
隼人生《すすきだはいとのしょう》ら、名ある大将は、六日の戦いに多くは覚悟の討死を....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
である。 同憂の士は、期せずして小泉の家に集った。山田甚之助、久保三之丞、吉川
隼人、幸田八五郎、その他みな二十から三十までの若者であった。多くは軽輩の士であっ....
「乱世」より 著者:菊池寛
吉村又右衛門 沢|采女 三輪権右衛門 大関五兵衛 服部|石見 松平|帯刀 成瀬|
隼人正様 次いで、同月十八日、官軍の先鋒が鈴鹿を越えたという報をきくと、同文の....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
も、猛然之をむかえて邀撃し、右の方望月隊及び信玄の嫡子太郎義信の隊も、左備の原|
隼人、武田逍遙軒も来援して両軍旗本の大接戦となった。 これより先山本勘助晴幸は....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
とも、百姓兵共、何事かあらん」と云ったのでそのままになった。小兵衛出でて「薩摩|
隼人をして快く一死を遂げしめるのは利秋である。また薩摩
隼人をして一世を誤まらしむ....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
即ち天正二年の末、山県の宿で馬場、内藤及び高坂昌隆の四人が小山田佐兵衛信茂、原|
隼人佐を加えて、明年度の軍事を評議した事があった。其処へ兼々勝頼の側姦の士と白眼....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
に分って、堂々|余吾床に打向った。先陣羽柴秀政。二陣柴田伊賀守の勢。三陣木村|小
隼人、木下将監。四陣前野荘右衛門尉、一柳市助直盛。五陣生駒甚助政勝、小寺官兵衛|....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
死して、天王山は全く秀吉の手中に落ちてしまっていた。 秀吉、生駒|親正、木村|
隼人を天王山方面に増援して、横槍についてかからせた。こうなると、光秀の軍は絶えず....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
渡辺等の容るる所とならなかったわけである。 幸村は、偶々越前少将忠直卿の臣原|
隼人貞胤と、互に武田家にありし時代の旧友であったので、一日、彼を招じて、もてなし....
「お住の霊」より 著者:岡本綺堂
出身した人)が住んでいた。その妹は五年以前、飯田町に邸を構えている同じ旗下で何某
隼人(この家は今も残っているから、姓だけは憚る)という人の許へ縁付き、児まで儲け....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
聞社の田中霜柳君は長く名古屋にいた人で、それは事実である、現に尾州藩の家老の成瀬
隼人正が書いた「金鱗紛失記」というものがあると教えてくれたので、私たちも大いに力....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
ぬ。自分はさきに少彦名命の研究において、蝦夷の文字と蟆人との関係を以て、日本紀に
隼人を狗人と云った事に比較しておいたが(五巻一号二三頁)、今にして思うに、穿鑿や....
「古事記」より 著者:太安万侶
その火が眞盛《まつさか》りに燃える時にお生まれになつた御子はホデリの命で、これは
隼人等《はやとら》の祖先です。次にお生まれになつた御子はホスセリの命、次にお生ま....