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雄豪
「雄豪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
雄豪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「酒の追憶」より 著者:太宰治
をもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英
雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では無いほどだったのである。 それがい....
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
に染み込んだ次第、つまり握飯の汗漬《あせづけ》が出来た訳だ。 コリャ堪らん。英
雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱《よわ》い奴の汗を舐《な》めるのは御....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
この混乱の中に、自ら統一に向おうとする機運が動いて居るのを見逃してはなるまい。英
雄豪傑が東西に戦って天下の主たろうと云う望を各自が抱いて居るのは、彼等の単なる英....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
正な事を示していて、うれしい事である。こう云う名前は、映画や大衆小説の俄作りの英
雄豪傑とは又別に、百世に伝えたいものである。 大阪城の勇士の事を思うと、人は一代名は末代と言う格言を素直に肯定出来る。....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
すものがあるわけでない。勇壮な場面や、華々しい情景には乏しい。活躍する人物にも英
雄豪傑はいない。それが十一年もだらだらと続いた、緩慢な戦乱である。 併しだらだ....
「運命」より 著者:幸田露伴
げてより連に勝を得たるに、小挫して輙ち帰らば、更に能く北面して人に事えんや。諸君
雄豪誠実、豈退心あるべけんや、と云いければ、諸将|相見て敢て言うものあらず、全軍....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
名を遂げるのは比較的容易であると聞く。権を負い、才力を恃んで天下に呼号するのは英
雄豪傑の会心事でなければならぬ。 しかし純忠の志を地下に竭し、純誠の情涙を塵芥....
「鉄面皮」より 著者:太宰治
のけちな日常生活からのみ推して加藤清正や小西行長を書くのだろうから、実に心細い英
雄豪傑ばかりで、加藤君も小西君も、運動選手の如くはしゃいで、そうして夜になると淋....
「出家物語」より 著者:坂口安吾
いるので、自分でも面喰ったほどであるが、同時に荒々しい情慾がわき起って、情念の英
雄豪傑というような雄大な気持になった。 そこで彼は征服にとりかゝる。侵略でもあ....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
から、私は小遣銭が溜まると此処に来てその英雄の写真を買いあつめた。 そういう英
雄豪傑の写真に交って、ぽん太の写真が三、四種類あり、洗い髪で指を頬のところに当て....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
をモリモリ食っていたのであろう。ナマコだのコンニャクを最初に食った人間は相当の英
雄豪傑に相違ない。 鮓久で私たちの接待に当った老女中は海女村の出身で、その半生....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
ていたが、間もなく、川那子メジシンの広告から全快写真の姿が消え、代って歴史上の英
雄豪傑をはじめ、現代の政治家、実業家、文士、著名の俳優、芸者等、凡ゆる階級の代表....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
の上に蝦夷という名称を以てはあらわされず、普通に日本人の如く思われていたほどの英
雄豪傑の中にでも、その素性を調査してみたならば、立派に蝦夷の系統であることの明ら....
「古事記」より 著者:武田祐吉
の御命 時じくの香の木の實 松浦河の釣魚 吉野の蜻蛉野(他の地名起源は省略) 英
雄豪傑 八岐の大蛇退治 建御雷の神 神武天皇 五瀬の命 大※古の命 倭建の命....
「松の操美人の生埋」より 著者:宇田川文海
帰りの土産話とに依て、二氏の技芸の、歳月と共に進歩して、團十郎氏が近古歴史中の英
雄豪傑に扮して、其の精神風采を摸するに奇を専らにし、圓朝氏が洋の東西、事の古今、....