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「雋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

雋の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
た『博物志』に〈洞庭の山帝の二女啼き、涕を以て竹に揮い竹ことごとく斑なり、今|下《かしゅん》に斑皮竹あり〉、わが邦の虎斑竹のごとく斑ある竹を堯の二女娥皇と女英....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
優善が山田|椿庭の塾に入ったのと殆ど同時に、伊沢柏軒の塾に入って、柏軒にその才の鋭なるを認められ、節を折って書を読んだ。文久三年に柏軒が歿してからは家に帰って....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
巻十四・三三七二)等の例がある。皆相当によいもので、万葉歌人の写生力・観入態度の敏に驚かざることを得ない。 ○ 朝柏閏八河辺の小竹の芽の....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
偽ならざるを知りたり」と唐の官人を嘆美させたのもその一例であり、阿倍仲麿が聡明英、到所可ならざるなき才気を発揮し、加うるに稀に見る美少年であったところから唐の....
三国志」より 著者:吉川英治
ほうで暴威をふるっている。 その方面へは、やはり洛陽の朝命をうけて、皇甫嵩・朱の二将軍が、官軍を率いて討伐に向っている。 ここでも勝敗決せず、官軍は苦戦し....
三国志」より 著者:吉川英治
しめて、絶対的なものとなっている。 ここに太尉楊彪という者があった。或る時|朱と共に、そっと献帝に近づいて奏上した。 「このままでは、国家の将来は実に思いや....
三国志」より 著者:吉川英治
が、あわてて郭※は剣を納めたけれども縛りあげた群臣はゆるさなかった。ただ楊彪と朱の二人だけ、ほうりだされるように陣外へ追い返された。 朱は、もはや老年だけ....
三国志」より 著者:吉川英治
を送り、国王|孟獲に、将来大利ある約束を与え、蛮兵十万を催促して、益州の永昌、越などへ働かせ、南方より蜀中を脅かさしめる――これ二路であります」 仲達の雄弁....
三国志」より 著者:吉川英治
らむばかりである。 仲達軍の先鋒に大将として薦された者は、河南の張※、あざなは義、これは仲達から特に帝へ直奏して、 「張※を用いたいと思います」 と嘱望し....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
れているものの、田能村竹田の山中人饒舌は「予、宮本武蔵ノ画|布袋図ヲ蔵ス、筆法|頴、墨色|沈酣、阿堵一点、突々人ヲ射ル。又、設色馬十二題図ヲ観ル、朱ヲ施シ粉ヲ....