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「離宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

離宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
える傾向のあることである。 四月十六日から五月三十一日までの空襲で、皇居、赤坂離宮、大宮御所も災厄を受けたが、大宮御所の場合は夜間爆撃とはいえ、月明の中で広大....
自叙伝」より 著者:大杉栄
その頃から擬古文めいたものを書いていた。これは三年になってからのことであるが、「離宮拝観記」というものを書いて、四宮憲章という漢文の先生から、「才多からざるに非....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州は、桂の離宮、名古屋の城および孤篷庵に、彼が天才の著名な実例をのこしている。日本の有名な....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
一とせられておるが、これとても一般の拝観は思いもよらず、次いで新宿の御苑、赤坂の離宮なるも色渥丹の如く頗る賞すべきか。その他では麹町の山王、靖国神社、小石川の後....
ガリバー旅行記」より 著者:スウィフトジョナサン
しました。 いよ/\海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へと/\に....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる 〔巻一・七〇〕 高市黒人 持統天皇が吉野の離宮に行幸せられた時、扈従して行った高市連黒人が作った。呼子鳥はカッコウかホトト....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
一 「日本的」ということ 僕は日本の古代文化に就て殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田も鉄斎も知らないのである。況んや、秦蔵六....
眠る森のお姫さま」より 著者:楠山正雄
てそれから、十五六年は、ぶじにすぎました。あるとき、王様とお妃様が、おそろいで、離宮へ遊びにお出かけになりました。そのおるすに、ある日、若い王女は、お城の中をあ....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
八年にはアルバート親王の提議で、ヴィクトリア女王はロンドン郊外ハンプトンコートの離宮の近くで緑の野原の見える小さな一邸をファラデーに賜わった。ファラデーは初めに....
土田さんの芸術」より 著者:上村松園
かんならぬ。どこぞ咲いてる所ないかいなぁ」と言って側にいる人に訊ねて、それが二条離宮の近所に咲いてると聞かされ「そうか、ちょっと行ってとってこう」と出掛けて行く....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
山人の一種で、里人とは大分様子の違ったものであったらしい。応神天皇の十九年に吉野離宮に行幸のあった時、彼ら来朝して醴酒を献じた。日本紀には正に「来朝」という文字....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
れは未の歳、阿弥陀如来の化身だといわれて居る。私はこのお方に会おうと思いましたが離宮の方へ行って居られたので会うことが出来ませんでした。ところで多くのラマなり学....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
かの結果だった。外見だけはそう見えても、内実は彼女の危険極まりない敵――スペイン離宮に巣を張るクモとは正反対な人間だった。二人とも、言抜けの大将であり、延引の愛....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
千五百番歌合』が行われ、『新古今集』の撰が行われ、その間にも頻々と仙洞や水無瀬の離宮などで歌合が行われるようになって、歌人たちがはじめて世に在るの思いをしたこと....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
館などの影も形もないのに驚いた。 ただ、少しも変らないのは、海の向うに見える浜離宮の黒松だけである。 私は、あの黒い松を見た瞬間に第二次「新思潮」創刊号の発....