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「雪中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

雪中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
高野聖」より 著者:泉鏡花
ゅう》して教《おしえ》を与《あた》えはしなかったが、翌朝|袂《たもと》を分って、雪中山越《せっちゅうやまごえ》にかかるのを、名残惜《なごりお》しく見送ると、ちら....
追憶」より 著者:芥川竜之介
士の社会主義論をしたのはこの時だけである。(彼はそれから何か月もたたずに天城山の雪中に凍死してしまった)しかし僕は社会主義論よりも彼の獄中生活などに興味を持たず....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
少ないが、午後一時半B29の大挙来襲の徴ありと警告が出た。やがて間もなく来襲す。雪中を皆も防空壕に入る。盲爆故、時間の過ぎるのを待つ外なし。 ◯編隊は十四を数え....
春の槍から帰って」より 著者:板倉勝宣
、仕事ははかどらない。 だから人夫なしで、歩きたいのは理想であるが、今の日本の雪中登山の程度では、やはり必要なのであろう。 スキーとカンジキ。あの辺の山は、....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
――いやしくも廓の寮の俳家である。卯の花のたえ間をここに音信るるものは、江戸座、雪中庵の社中か、抱一上人の三代目、少くとも蔵前の成美の末葉ででもあろうと思うと、....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
れた処へ、(骨董子、向うから来るのは確に婦人だぜ。)と牛骨がいうと、(さん候この雪中を独歩するもの、俳気のある婦人か、さては越の国にありちゅう雪女なるべし、)傭....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
、大胆にも芝居の記事で埋めて、演芸を復活させようとつとめた。 そのうち、かの『雪中梅』の作者|末広鉄腸が、『朝日新聞』に書いた。また服部誠一翁がいろいろなもの....
雪霊続記」より 著者:泉鏡花
この猛犬は、――土地ではまだ、深山にかくれて活きている事を信ぜられています――雪中行軍に擬して、中の河内を柳ヶ瀬へ抜けようとした冒険に、教授が二人、某中学生が....
作画について」より 著者:上村松園
な結果を生んだのでした。 (授賞席順) 金牌 大原の露 下村観山 銀牌雪中放鶴 菱田春草 木蘭 横山大観 花ざかり ....
最初の出品画」より 著者:上村松園
落ちついた静寂な気分を漂わせた。最後に冬になると、もうずっと年配のいった一女性が雪中の絵の軸物を見ているところを描いたものであった。 どんなところから「四季美....
雪柳」より 著者:泉鏡花
目録の第一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。 当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延|年不詳、霜月のしかも晦日、枯野見からお定まりの吉原へ....
迷信解」より 著者:井上円了
談を述べたいと思う。「今より数十年前冬期に当たり、箱根村の猟師二、三人相誘いて、雪中に兎を狩りせんために駒ヶ岳に登りたることあり。ようやく絶頂に近づくに及び、一....
四十年前」より 著者:内田魯庵
も自由であって、大抵|操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著....
古い記憶を辿って」より 著者:上村松園
については、はっきりとした記憶がまだ残っています。春挙さんの〈塩原の奥〉とか、〈雪中の松〉とかは、いまだにはっきりとした印象を残しています。 青年絵画共進会の....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
方がすこし恥かしくなったのです。 「ようこそ、御|入来下さいました。何はなくとも雪中の粗茶一服。さあ、どうぞ、これからおいでなされませ」 利休は、腰から扇子を....