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雲母坂
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「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
木村から一乗寺|藪之郷――すなわち、貴所の死場所の下り松を経て――これから叡山の
雲母坂へ通っております。それゆえ、
雲母坂道ともいう裏街道」
「下り松まで、道程は....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
」 「また、いうまでもなく、叡山から内裏への途々には、六波羅の眼が油断あるまい。
雲母坂、白川道など、いずれを行くも危うかろうぞ。なんとするか」 「姿を変えて、黒....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
し、加茂の上流、糺のへんへかたまった。そして徐々に、叡山山麓の西がわ――西坂本、
雲母坂――へかけて厚い布陣をみせ、なお次の新手を翌日には加えていた。 このさい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
数千の犠牲をすてては逃げ降るのがやっとだった。じたい戦法がムリなのである。ために
雲母坂では、高ノ豊前守(師久)以下、一族、部将格二十何名かを、いちどに亡うなどの....
「親鸞聖人について」より 著者:吉川英治
いでした。 朝廷に何か自分たちの不満があれば、今日のデモ隊のごとく、あの叡山の
雲母坂から都へ出てくる。こういう叡山の中で若き親鸞は九歳から二十九歳ごろまで、苦....