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雲泥の差
「雲泥の差〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
雲泥の差の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「人間失格」より 著者:太宰治
いて、あの深夜の老巡査のひそかな、執拗《しつよう》きわまる好色の「取調べ」とは、
雲泥の差がありました。訊問がすんで、署長は、検事局に送る書類をしたためながら、 ....
「浮浪漫語」より 著者:辻潤
た話である。 金があって道楽に名所旧蹟でも見物して歩くなどという旅行とはまるで
雲泥の差である。ただ滅茶苦茶に眼先が変わりさえすればいい。だから歩く処は全然見ず....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
近代に到る史実を題材としていること、日本の大衆作家のその取材を江戸幕末に限るのと
雲泥の差ありと云わねばなるまい。この点は、将来の大衆文芸作家の心得るべき点である....
「映画芸術」より 著者:寺田寅彦
るかそれとも絞りを使うか、あるいは重写を用いるか。これらの選び方によって効果には
雲泥の差が生じるのである。 いかなる材料のいかなる撮影が効果的であるかを判断す....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
られた。それは宏荘とまでは行かずとも、相当の構えの家であり、もちろん私の借家とは
雲泥の差があった。 出獄後半年たつと、昭和十三年になり、私は久振りに自分の家庭....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
であったのだろう。 円空などいう坊主の作は、とても、とても、こうは行きません。
雲泥の差です。私は千光寺で彼の多くの作を見た。彼も、世をすて名をすてたかのような....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
うだから、おどろいてしまった。 これを馬庭念流で「無構え」という。他流の構えと
雲泥の差がありすぎる。これを説明するには写真を眺めていただく以外に手がないのであ....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
れぐらいの余裕が必要なものである。セッパつまって徹夜の原稿を書いている私などとは
雲泥の差があるようだ。 説教強盗などのように、強盗強姦などゝ刃物三昧や猫ナデ声....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
を語ったあとでわざと神妙に、 「由也が時田をゆすッた点など相似ておりますが内実は
雲泥の差で。ハ。恐れながら、御前の推理が似ていましたのは由也が恐るべき悪度胸であ....
「恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは
雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾な....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
てあるのも嫌って、あたりを綺麗にかたづけた上で、客に対っていたあの潔癖に比べると
雲泥の差であるが、かえってこの方が親しみ深くもあった。 藤村はそれからやがて小....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
かなる要点も有り得ない。ビワ湖に面した安土城(信長晩年の設計)と大阪の地とでは、
雲泥の差があるね。安土の地はなお戦国的な要点であるが、大阪は近代の首府に通じる要....
「西航日録」より 著者:井上円了
紳士の遊覧輻湊する所なり。あたかもわが大磯に比すべきものなり。されど、その比較は
雲泥の差あり。海岸数里の間遊歩場あり、また海中に幅およそ十間、長さ三百間以上の桟....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
る。未婚者の多きもまた驚かざるを得ず。船内は粗大にして清美を欠く。わが日光丸とは
雲泥の差あり。食事は毎回二、三品に過ぎず、一品を幾回重ぬるも任意なり。茶は朝食の....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
本は今、生きるか死ぬかという生活をしている。従って少くとも経済の部面においては、
雲泥の差があることは、常に考えていなければならない。アメリカの姿をそのまま日本に....