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霊異
「霊異〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
霊異の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
ているのである。』これを写しながら、給仕君におとぎばなし、紫式部、清少納言、日本
霊異記《にほんりょういき》とせがまれ、話しているうち、彼氏恐怖のあまり、歯をがつ....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
わなかったのは気の毒である。
「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの
霊異な音《ね》を三度ききました。三度目にどうあってもこれは買わなければならないと....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の記録を訂正させ、さらに紙銭十万を焚いて、かれらの冥福を祈った。 鉄塔神の
霊異 蔚州の城内に寺があって、その寺内に鉄塔神というのが祭られているが、その神....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
が儂智高を征伐する時、大兵が桂林の南に出ると、路ばたに大きい廟があって、すこぶる
霊異ありと伝えられていた。 将軍の狄青は軍をとどめて、この廟に祈った。 「軍の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ずに歩くと云ったのも、後代の吾等の心を強く打つものである。糧米をカリテと訓むは、
霊異記下巻に糧(可里弖)とあるによっても明かで、乾飯直の義(攷證)だと云われてい....
「馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
りました。で、八犬士でも為朝でも朝比奈でも因縁因果の法を信じて居ります。神仙妖魅
霊異の事も半信半疑ながらにむしろ信じられて居りました。で、八犬士でも為朝でもそれ....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
れたのに相違なく、その事実は考古学上からも或る程度までは立証せられるのみならず、
霊異記を見ると、奈良朝から平安朝初期の葬儀が、土葬はむしろ特別の場合という風に見....
「法然行伝」より 著者:中里介山
が聞え、さまざまの奇瑞があって五日の卯《う》の時まで続き、翌日入棺の時もさまざま
霊異があって、成程これならば上品上生の往生疑いなかろうと皆がいった。 二十八 ....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
も聞食《きこしめ》したのである。奈良朝まで時代が降ると牛の記録も相当にあり、日本
霊異記には牛五十頭を、東大寺に寄進するなどと見えているので、その需要の多かったこ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
前の書物にも、「浮浪の長」ということが見えております。仏教関係の事を多く書いた「
霊異記」という古い書物がありますが、それには奈良朝神護景雲三年に、その頃は越前、....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
ことは真の仏徒の行為と認められた。されば我が大宝令にも、僧尼乞食の規定があり、「
霊異記」には真の修行者が加賀で浮浪の長からその配下たる事を強いられた談もある。ま....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
しかし仏法の普及とともに牛馬を殺すことは罪業のことに深いものとして教えられた。「
霊異記」には牛を殺して漢神を祭ったが為に恐ろしい現報を受けた話もある。こんな宣伝....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
はこれである。「万葉集」にも漁人の歌を乞食の歌だと云っているのである。もちろん「
霊異記」には、永興禅師が熊野の海辺人を教化した話もあって、一部ではその仏縁も認め....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
非人を長吏法師と云い、その下に属する平非人を小法師という。浮浪人の長の事は既に「
霊異記」にも見えて、由来すこぶる久しく、彼らはそれぞれ縄張りを構えて、その縄張内....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
で賤しまれた場合が多かったらしい。奈良朝から平安朝初期の仏法関係のことを書いた『
霊異記』をみても、その実例のはなはだ少からぬに驚かざるをえぬ。孝謙天皇の朝に犬養....