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「霊祭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

霊祭の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
気いっぱいであった明治二年のことがその中に出て来た。同門の故人|野城広助のために霊祭をすると言って、若菜基助の主催で、二十余人のものが集まった記事なぞも出て来た....
田舎教師」より 著者:田山花袋
樽拍子の音が唄につれて、ますます景気づいて来た。 三十一 秋季皇霊祭の翌日は日曜で、休暇が二日続いた。大祭の日は朝から天気がよかった。清三はその....
今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
にひっぱっている。政府は一九四六年十二月になってやっと内務、文部次官通牒として慰霊祭の停止、学校からの忠霊塔の撤廃などについて命令した。 宗教団体法が廃止され....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
岸仏参し、施しをなし、善根をすべしとある。 彼岸七日の真中を中日という、春季皇霊祭に当る。中日というのは何をする日か私ははっきり知らないが、何んでも死んだ父の....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
会」という国民精神的文芸挺身隊も出そうになったがそれが多少萎縮して「物故文芸家慰霊祭」となって現われたり何かした。文芸家自らが進んで国民精神に則り国家的統制に服....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
環を担いだ男たち。笑って来る陽やけした女の一軍。点々と彼女らの腕から溢れる花。諸霊祭の夜。ケエ・デ・ベルジェの混雑。シャトオ・ダフ往きの小蒸汽船。星と街灯に装飾....
歳時記新註」より 著者:寺田寅彦
陽がまさに南半球へ越えんとして丁度赤道の真上に来る日である。この日我が皇室では皇霊祭を行わせられる。仏教では彼岸の中日|時正の日で、一切の諸仏三世の諸尊および無....
だいこん」より 著者:久生十蘭
寿子さんの遺書の前で、六右衛門さん、長謙さん、珠子さん、陸さん、山チイの五人が慰霊祭の相談をしていたが、陸さんが途中から話をひったくってわけのわからない怪弁をふ....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
あったという。 霊廟の建物は、どれも本殿、桐の間、拝殿の三つに区分されてある。霊祭の時、桐の間には将軍、大僧正、三家、三卿のほか座することができなかった。拝殿....
妖怪学」より 著者:井上円了
るとき外に出て、みごぼうきをもて三遍はきおとすまねをすれば消ゆるという。また、精霊祭りに用いたるみそはぎをたくわえおきて、それにてなでたるもよしといえり。 ....
長崎の鐘」より 著者:永井隆
の人々が集まった。私たちも三ツ山の渓を下って大学に帰った。十一月二日には大学の慰霊祭があり、八百七名の友の冥福を祈った。 私は、爆心地に近い上野町に一坪あまり....
牡丹灯籠 牡丹灯記」より 著者:田中貢太郎
と云う、近き比妻に後れて愛執の涙|袖に余っている男があって、それが七月十五日の精霊祭をやっている晩、門口にたたずんでいると、二十ばかりと見える美人が十四五ばかり....
あの世の入口」より 著者:知里真志保
あの夫婦は、ほんとうは肉体を持って生きている人たちだから、ふつうの死者のような祖霊祭もできず、どうして供養してやっていいかも分らないが、あんまり可哀想なので、せ....
ロザリオの鎖」より 著者:永井隆
の御あわれみによりて安らかに憩わんことを、アーメン。 (昭和二十一年 八月九日慰霊祭祭詞) 歯車 工場の焼け跡にちらばってる歯車みたいだね君は。水雷の部分品....
随筆銭形平次」より 著者:野村胡堂
の主人公半七の名を刻んだ「半七塚」を浅草に建立し、あわせて物故捕物作家十余名の慰霊祭を執《と》り行ったことは新聞やラジオで大方もよく御存知のことだろう。 それ....