青森県[語句情報] »
青森県
「青森県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
青森県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「苦悩の年鑑」より 著者:太宰治
のに違いない。 私は、無智の、食うや食わずの貧農の子孫である。私の家が多少でも
青森県下に、名を知られはじめたのは、曾祖父|惣助《そうすけ》の時代からであった。....
「虚構の春」より 著者:太宰治
。(一行あき。)私は明日からしばらく西津軽、北津軽両郡の凶作地を歩きます。今年の
青森県農村のさまは全く悲惨そのもの。とても、まともには見られない生活が行列をなし....
「狂言の神」より 著者:太宰治
きしるす。 笠井一《かさいはじめ》。戸籍名、手沼謙蔵。明治四十二年六月十九日、
青森県北津軽郡金木町に生れた。亡父は貴族院議員、手沼源右衛門。母は高《たか》。謙....
「第五氷河期」より 著者:海野十三
同時に十数カ所にのぼるものと思われます。北の方から申し上げますと、まず帯広付近、
青森県においては……」 というわけで、地震は、まことにめずらしい話だが、全国的....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
行聯隊は、午後十時、北海道、根室湾を、占領した。聯隊は、更に、津軽海峡を征服し、
青森県|大湊要港を占拠せんものと、機会を窺っている模様である」 (ああ、内地まで....
「酒ぎらい」より 著者:太宰治
いただいた。それで、わかった。裏の登記所のお坊ちゃんなのである。固苦しく言えば、
青森県区裁判所金木町登記所々長の長男である。子供のころは、なんのことかわからず、....
「田舎者」より 著者:太宰治
田舎者 太宰治 私は、
青森県北津軽郡というところで、生れました。今官一とは、同郷であります。彼も、なか....
「山の神殺人」より 著者:坂口安吾
十万円で息子を殺さす ――布教師ら三名逮捕―― 【青森発】先月二十三日東北本線小湊、西平内間(
青森県東津軽郡)線路わきに
青森県上北郡天間林村天間館、無職坪得衛さん(四一)の死....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
知れない。 私は一昨年秋田犬を訪ねて秋田へいった。秋田市には秋田犬が見当らず、
青森県境にちかい山間の大館市で、秋田犬にお目にかかった。 この大館市が秋田犬の....
「氷湖の公魚」より 著者:佐藤垢石
ろはあるけれど、泥臭い上に渋味が強く至味というわけにはいかない。俗にチカキという
青森県や北海道方面からの乾公魚は一層渋味が強くて惣菜にもならぬほどである。ただ、....
「飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
だ男だと思って、 寒さを消しながら、 夢中で山から山をあさって歩く。 これは、
青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩であ....
「贋物」より 著者:葛西善蔵
こではどうして腹をこしらえていたんだ? 金はいくら持っている? 年齢はいくつだ?
青森県もどの辺だ?」 耕吉は半信半疑の気持からいろいろと問訊してみたが、小僧の....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
出来よう。 奥羽の地はかつて坂上田村麻呂征夷の偉勲により、今の岩手県の北部から
青森県の東南部、すなわち爾薩体から都母にまで皇威を耀かしたのであったけれども、そ....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
は、田村麿遠征の結果として、すべて服従した事であったでありましょう。俗説では今の
青森県七戸町の北方、坪村のあたりまで征服して、ここに「日本中央」と刻した石碑を立....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
いが、九州の南部、奥羽の北部など、中央から遠ざかるに従って次第に減少の態となり、
青森県では現にただ一部落二百二十四人という数がかぞえられているだけである。 し....