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韓国
「韓国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
韓国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
つけようがありませんでした。
「ところがその中に私はある官辺の用向きで、しばらく
韓国《かんこく》京城《けいじょう》へ赴任《ふにん》する事になりました。すると向う....
「満韓ところどころ」より 著者:夏目漱石
まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう安東県《あんとうけん》を経《へ》て、
韓国《かんこく》にまで及んだのだから少からず恐縮した。総裁という言葉は、世間には....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
のが伊藤博文の逆《さ》か立《だ》ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。
韓国統監《かんこくとうかん》もこの時代から御布令《おふれ》の尻尾《しっぽ》を追っ....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
向の国の高千穂の山の、串触嶽という険しい峰の上にお着きになりました。そしてさらに
韓国嶽という峰へおわたりになり、そこからだんだんと、ひら地へおくだりになって、お....
「安重根」より 著者:谷譲次
大事に、学生は勉強をして、めいめい本分とする稼業に精を出すことが第一です。この、
韓国民の教育をはかるといる大目的のために、また一つには、私は本国の義兵参謀中将で....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ジスプレイド》』一七一八年版二〇六頁、『人性』八巻四号、緒方正清博士「支那および
韓国の去勢について」)。さて緊那羅も本《もと》馬芸や歌舞を業とした部民で、その女....
「天馬」より 著者:金史良
、古色蒼然とした宏壮な大門が立ち現われる。それをくぐってはいれば広い庭園の中に、
韓国時代どこかの国の公使館であったとかいう立派な洋館があった。玄竜はそこまで殆ん....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
感動がこもるのである。「かへし遣る使なければ」(巻十五・三六二七)、「この吾子を
韓国へ遣るいはへ神たち」(巻十九・四二四〇)等の例がある。 ....
「虎狩」より 著者:中島敦
貰いたいと、私が言出したのは言うまでもない。趙の父親は元来昔からの家柄の紳士で、
韓国時代には相当な官吏をしていたものらしい。そうして、職を辞した今も、いわゆる両....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
くだん》の帽子を被っていたから人相はよく分らなかった。 それから、伊藤博文公は
韓国統監時代に李王世子のお伴《とも》をしてであったか、なかったか三越へ馬車(自動....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
竈の下を吹きながら、皺だらけの顔だけを、焔のあかりに浮き上らせていた。
「霧島、
韓国《からくに》、栗野――」
玄白斎は、眼を閉じて、髯をしごきながら、呟いた。....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
として、結論めいたことを云うのは慎しまねばならぬが、どうも牛は出雲民族によって、
韓国から我国に輸入され、これに反して、馬は大倭《おおやまと》民族によって、同じく....
「日本のこころ」より 著者:中谷宇吉郎
。 建国以来二千年、日本の国は、世界からすっかり隔絶されていた。もっとも中国や
韓国とは、いろいろな交渉があったが、それはいわば身内の中での交渉である。広い地球....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
では有名な幸徳秋水らの大逆事件があり、またハレーすい星が現われ、外交面では日本が
韓国を併合した年である。 私は心ばかりでもこの年の幸いを祈ろうと、一銭五厘で門....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
も価値ある研究対象であるとの年来の考えを一層深くしたのであった。明治四十三年頃、
韓国守備中に、箕作博士の『西洋史講話』を読んで植え付けられたこの点に関する興味が....