風韻[語句情報] »
風韻
「風韻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
風韻の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奇遇」より 著者:芥川竜之介
《せいじんろく》、満洲、巴蜀《はしょく》、湖南《こなん》、漢口《かんこう》、支那
風韻記《しなふういんき》、支那――
編輯者 それをみんな読んだのですか?
小説家....
「長谷川君と余」より 著者:夏目漱石
つあっさりしていた。ちっとも「其面影」流でないのには驚いた。長谷川君の書に一種の
風韻《ふういん》のある事もその時始めて知った。しかしその書体もけっして「其面影」....
「草枕」より 著者:夏目漱石
を代表して、線の曲直《きょくちょく》がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの
風韻《ふういん》のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であ....
「今日の文学の鳥瞰図」より 著者:宮本百合子
、秋声の作品とは大いに違ったところがある。日本画家が今日尚住んでいることの出来る
風韻の世界を、日本文学は既に四五十年以前失っているのである。 文学作品が現実を....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
的事実を蒐集し得ないとは言われない。が、到底|詐り難きは、各自に備わる人品であり
風韻である。果実を手がかりとして、樹草の種類を判断せよとは、イエス自身の教うる所....
「淪落の青春」より 著者:坂口安吾
える。 光平は風景がどうだとか、情趣がどうだとか、伝統がどうだとか、風味とか、
風韻というようなことを言う。そういうものは衣子には全然通じないのである。衣子が見....
「発明小僧」より 著者:海野十三
コロと、太い管の中を転落して、タンクの中に入るから牛馬先生は、遥かに余韻嫋々たる
風韻を耳にするであろう。 ハンドルが間に合わぬことを心配する人があるかも知れな....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
袋がそこにある。単に花袋と呼ぶよりも花袋|和尚と呼んでみたい。酔態の中にも一種の
風韻がある。近眼鏡の奥には慧敏な目がぎろりと光っているが、そこにも人なつこいとこ....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
井伏鱒二が、文章というものは上達に向かって長年苦労を重ねてきても結局は松尾芭蕉の
風韻に帰るのだ。と、いったことがある。釣りも人生も、同じだ。お前は、きょう富士川....
「学校の説」より 著者:福沢諭吉
。公私の財を費《ついや》すも愛《おし》むにいとまあらず。 一、学問は、高上にして
風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱く....
「浮世絵画家の肉筆」より 著者:上村松園
ます。 次に色彩ですが、これなども錦絵の方が、ずっと優雅な味のある深みのある、
風韻のあるものになっています。これはむろん刷工の優れた手際と、それに感じの巧みな....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
う。精細の妙は印象を明瞭《めいりょう》ならしむるにあり。芭蕉の叙事形容に粗にして
風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んでなしたるところなりといえども、一は精細的美を知らざ....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
いかん》となればこれらの大欠点はかへつて素人画《しろうとえ》の妙味なる一種特別の
風韻をなす所以《ゆえん》なればなり。余が北寿を以て浮世絵専業の人にはあらざるべし....
「若鮎の気品を食う」より 著者:北大路魯山人
鮎は頭から尾先まで余さず、ひと口かふた口に食う。鮎のわたの苦味は、また格別の
風韻が口に美しく残る。流れのにぶい川の鮎は、肉がでぶでぶしていて不味い。川瀬のは....
「春水と三馬」より 著者:桑木厳翼
の田園生活を連想させるようになって居る。随て又一方には余りに戯作風になって原文の
風韻を伝えない憾みはあるが、元来為永式教訓物であるから、寧ろ其所に特色もあるので....