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飾磨
「飾磨〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
飾磨の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「百物語」より 著者:森鴎外
かと云う。主人は誰だ。案内もないに、行っても好いのかと、僕は問うた。「なに。例の
飾磨屋《しかまや》さんが催すのです。だいぶ大勢の積りだし、不参の人もありそうだか....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
の古記を引いて、享禄三年(欧州人始めて日本へ渡来した年より十三年前)五月十一日、
飾磨《しかま》郡増位山随願寺の会式《えしき》で僧俗集まり宴|酣《たけなわ》なる時....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
ておった。年貢米がどれだけあったかは判明しない。 摂津の先きの播磨《はりま》の
飾磨《しかま》郡にある穴無庄、同じく揖保郡にある太田庄、また共に三条西家の所領で....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
るが、なかなかよいものである。 ○ わたつみの海に出でたる
飾磨河絶えむ日にこそ吾が恋止まめ 〔巻十五・三六〇五〕 作者不詳 この歌も新羅....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
であって、一向珍らしくなかったが為と解するのが至当であるかもしれぬ。播磨風土記|
飾磨郡の条に、墓を造って葬り、後其正骨を運び去るなどあるのは、たまたま事によって....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
相違は在ったけれども、はるかに後世まで習俗として行われたものである。播磨風土記の
飾磨《しかま》郡|貽和《いわ》ノ里の条に、雄略朝に尾治連の祖先である長日子《なが....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。 また店は、堺のみでなく、長門の赤間ヶ|関にもあるし、讃岐の丸亀にも、山陽の
飾磨の港にも出店がある。 わけて小倉の細川家からは、特に藩の御用も仰せつかって....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
三十四、五の男|盛り、九条村の閑宅にこもって以来、鳩使いとなりすまし、京の比叡、
飾磨の浜、遠くは丹波あたりまで出かけて、手飼いの鳩を放して自在に馴らしている。 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
早々にいとまをつげて、陸上へ返っていった。 この日ごろから、すぐそこらの揖保や
飾磨の山々も、白い雲か霧かの中に、漠々と、見えなくなった。 五月。とうに雨期へ....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ととしてはどうかと考えられる。 二刀流を工夫した動機としては、ずっと後に、播磨
飾磨の海岸で、大勢の漁夫と格闘した際、片手に刀を持ち、片手に櫂の折れを持って戦っ....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
どと別離をかなしんでおるか。よいかげんにしてはや立て。いまから急げば明るいうちに
飾磨の浜から船に乗れよう。一刻の差が、過てば、十年の悔いをのこすことにもなるぞよ....