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「館山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

館山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
草枕」より 著者:夏目漱石
になった。 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州《ぼうしゅう》を館山《たてやま》から向うへ突き抜けて、上総《かずさ》から銚子《ちょうし》まで浜伝....
海異記」より 著者:泉鏡花
同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、古川、白子、忽戸など、就中、船幽霊....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
部下ではなかなか幅が利いたものであるという。その庄兵衛が夫婦と中間との三人づれで館山の城下の延命寺へ参詣に行った。延命寺は里見家の菩提寺である。その帰り路に、夫....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
した。力尽きて幕府方に降るものが続出した。二十三日まで湊をささえていた筑波勢は、館山に拠っていた味方の軍勢と合流し、一筋の血路を西に求めるために囲みを突いて出た....
海底都市」より 著者:海野十三
すると、あの六万何千トンかあったやつかね。太平洋戦争中に竣工《しゅんこう》して、館山《たてやま》を出て東京|湾口《わんこう》から外に出たと思ったら、すぐ魚雷《ぎ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れに答えて、 「はい、木更津から那古《なこ》の観音様へ参詣を致し、ことによったら館山《たてやま》まで参ろうと思うんでございます」 「ごゆさんでございますかね」 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ぬ、茂太郎がいる以上は、岡本兵部の娘もいるかも知れない――そのほか、それに準じて館山の方からも、造船所方面からも、相当に人の出入りがあるべきはず。それを今日に限....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
所をお訪ね致しますよ」 笠を傾けて、船と人とは別れました。まだ船にとどまって、館山《たてやま》まで行かねばならぬ駒井甚三郎は、保田の浜辺を悠々《ゆうゆう》と歩....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
急《せ》かずとも おくれはしないよ もうあとが二里だよ 近路《ちかみち》をせずと館山大路《たてやまおおじ》を 真直ぐにあゆびなよ そらそら あちらから 村の小旦....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
。 四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。 この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高く....
日記」より 著者:宮本百合子
はっきりさが羨ましいように感じられるのであった。今日はよほど浪があれたと見えて、館山からの船がとまった。主人が、此の村の権力争いについて、話してくれる。面白い。....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
る。 大体以上が美術学校時代である。 (追記、長沼守敬先生は今年七月十八日房州館山町で長逝せられた。享年八十六。) (談話筆記)....
海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
それから三浦半島の鴨居沖、三崎の湾口。房総半島では、大貫、湊、竹岡、金谷、勝山、館山などで漁れる河豚は、どこへ出しても、関西ものに勝るとも劣っていない。 また....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
さな舟は途中で引っ掛ってしまう。到底無事に行徳まで流れて来そうもない。 夷※の館山(素藤の居城)というは今も同じ地名の布施村や国府台に近接する立山であろう。稲....
斬られの仙太」より 著者:三好十郎
仙太 お! お前は、 加多さん! 加多 何をグズグズしているかっ! 一直線に湊、館山だ。早く来い、さ! 仙太 ちょ、ちょっと待ってくれ。俺あ――。 加多 文句を....