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「館林〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

館林の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
田舎教師」より 著者:田山花袋
頭を下げている。そのはげた額を、薄い日影がテラテラ照らした。 加須に行く街道と館林に行く街道とが町のはずれで二つにわかれる。それから向こうはひろびろした野にな....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
羽に跨《またが》り、南は白川を越して、下野《しもつけ》の那須、上野《こうつけ》の館林までも威※《いえん》は達し、其城主等が心を寄せるほどに至って居る。特《こと》....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
ったが、彼の橋本さんの御恩は忘れられねえって貴方の事ばかり云ってますぜ……どうせ館林へ出て足利まで往くのなら、瑞穂野へは通り道で遠くもねえから、私と一緒においで....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
人たちがこぼすまいことか、水戸の中納言様、奥州仙台の陸奥守様、さてこのたび評判の館林《たてばやし》のお狸様、それとは変って、箸も持たぬお菰様《こもさま》のお通り....
文福茶がま」より 著者:楠山正雄
一 むかし、上野国館林に、茂林寺というお寺がありました。このお寺の和尚さんはたいそうお茶の湯がすき....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
でも最上級の麦粉としてもてはやされたものである。ところが十数年前、日清製粉工場が館林に出来て、一般の小麦を買い集めて二等粉に製した。すると片原饅頭もこの二等粉を....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
喋舌り出した。 「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を....
食指談」より 著者:佐藤垢石
倉庵の若者勇吉というのは、黒砂糖四斤をなめた。 三 この正月のはじめ、上州館林正田醤油の多田常務から、鹿の肉が手に入ったから、すぐこいという飛電に接した。....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
、失敗を演ずるのである。 四 分福茶釜の出身地も、榛名山麓である。 上州館林在の茂林寺に、この分福茶釜が鎮座ましますのであるが、詳しくいうと上州邑楽郡六....
たぬき汁」より 著者:佐藤垢石
も少なからず心配になった。 私の故郷上州は、有名な狸の産地である。この事実は、館林の茂林寺にある文福茶釜の伝説などによったものではなく、前橋市一毛町の毛皮商坂....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
山上の大沼、榛名湖など湖上の釣りも静かな心を養うのに足りた。城沼、多々良沼など、館林地方の平野の水には、蘆萩の間に葭切が鳴いて初夏の釣遊が忘れられぬ。上州と野州....
女賊記」より 著者:田中貢太郎
館林の城下では女賊の噂で持ち切っていた。それはどこからともなしに城下へ来た妖婦で....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
たび転封の経験を有し、この山形では明和四年に武州川越から移ってより、弘化二年上州館林に転じて、水野越前守と入れ交るまで、わずか八十年にも足らぬほどの就封に過ぎな....
大岡越前」より 著者:吉川英治
綱吉が、戌年生れだったからである。また、綱吉の若年の名は、右馬頭といっていたし、館林侯から出て、将軍家を継いだ天和二年も、戌の年だった。 こんなつまらぬ暗合も....