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首陽山
「首陽山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
首陽山の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
困ったよ。ハッハッハッ」 と笑っているところは恰で飢饉の実話以上……ここいらは
首陽山に蕨を採った聖人の兄弟以上に買ってやらなければならぬと思う。別に周の世を悲....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
独立を重んじ、ついには我が心に叶《かな》わぬ周《しゅう》の粟《あわ》を食わずとて
首陽山《しゅようざん》に隠《かく》れ、歌を詠じて餓死《がし》したところは、たしか....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
い空想によってこしらえあげられて、読むに堪えない。従軍紀行文的なもの(遅塚麗水「
首陽山一帯の風光」)及び、戦地から帰った者の話を聞いて書いたもの(江見水蔭「夏服....
「真の愛国心」より 著者:新渡戸稲造
勢力を得るはかえって己の国を弱くするものであるとなし、義、周の粟を食わずといって
首陽山に隠れた。あるいは彼らの見識が過《あやま》っていたこともあろう、現に周の時....
「教育の目的」より 著者:新渡戸稲造
に達見がある。またかの伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》は、天下が周の世となるや、
首陽山に隠れ、蕨《わらび》を採って食った。その蕨は実に美味《おい》しかったろうが....
「三国志」より 著者:吉川英治
叔斉の兄弟は、たがいに位を譲って国をのがれ、後、周の武王を諫めて用いられないと、
首陽山にかくれて、生涯周の粟を喰わなかった。そして餓死してしまったが、名はいまに....