馬場先[語句情報] »
馬場先
「馬場先〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
馬場先の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「名君忠之」より 著者:夢野久作
四 お城の南、追廻門、汐見|櫓を包む大森林と、深い、広い蓮堀を隔てた
馬場先、蓮池、六本松、大体山の一帯は青い空の下に向い合って櫨、楓、紅葉の色を競っ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
衛門さまと言えば、おれもお目にかかったことがある。」 「西丸の大手から、神田橋、
馬場先、和田倉門、それから坂下二重門内の百人番所まで、要所要所は尾州の兵隊で堅め....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
は、教部省御雇いとして一時奉職する身となった。ちょうど教部省は、文部省と一緒に、
馬場先の地から常磐橋内へ引き移ったばかりで、いろいろな役所の仕事に、国学の畑の人....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
ことが書いてあった。夜は提灯行列が日比谷公園から上野公園まで続いて、桜田門付近|
馬場先門付近はほとんど人で埋めらるるくらいであったという。京橋日本橋の大通りには....
「伸子」より 著者:宮本百合子
にそれは悲しい涙であった。 五 英国皇儲の来遊は一般的な好意を呼び起していた。
馬場先に大きな歓迎門ができた。夜はアーク燈の光で、ぞろぞろ通る人間も、お濠《ほり....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
るや否や一挙に二三十年分の推移を飛躍したというのだから……。 その頃の宮城前の
馬場先一帯は大きな、草|茫々たる原っぱになっていて、昼間は兵隊が演習をしていた。....
「斬られたさに」より 著者:夢野久作
掛けられてのう……」 「ヘエッ。いよいよ以て不思議なお話……」 「おおさ。しかも
馬場先の晴れの場所で、助太刀らしい武士が二人引添うておったが聊か肝を奪われたわい....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
で和田倉門(辰の口)も殆んどそのままだ。他には竹橋御門なおその影を止め、爾余のは
馬場先門にしろ、日比谷見附にしろ、今はその趾さえ捜ぬるに困難である。 されば今....
「或る心持よい夕方」より 著者:宮本百合子
ったことは、ラジオに対する大衆の親しみを増し、何よりのことと思う。ところでこの間
馬場先を通っていたらかねて新聞で披露されていた犯人逮捕用ラジオ自動車が消防自動車....
「魔都」より 著者:久生十蘭
旗や吹流しを朝風に吹き靡かせながらやって来、二重橋の前に整列して宮城を遙拝すると
馬場先門から交叉点を横切って日比谷公園へ繰込んで行く。
一行は「鶴の子石鹸」と....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
部屋を振りだしに榎坂《えのきざか》の山口周防守《やまぐちすおうのかみ》の大部屋、
馬場先門《ばばさきもん》の土井大炊頭《どいおおいのかみ》、水道橋の水戸《みと》さ....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ようごわす、やっつけましょう。おいどんもちっと胸糞が悪るうになって来ましたけん」
馬場先門をさけて日比谷から数寄屋橋。鍛冶橋の袂まで来ると、川に照りかえす月あかり....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
宮城前なる
馬場先門の楠公銅像についてお話しましょう。 この銅像のことについては世間でまち....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
けでありますから、確実なことを記録に止めて置くは必要の事と思います。 楠公像の
馬場先門外に建ったのは、ずっと後のことで、その建設の場所なども、最初は学校の方で....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
。 半蔵御門《はんぞうごもん》より外桜田《そとさくらだ》の堀あるいはまた日比谷
馬場先和田倉御門外《ひびやばばさきわだくらごもんそと》へかけての堀端《ほりばた》....