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「馬寮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

馬寮の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:ゴーゴリニコライ
三年十二月十七日付)に記して笑っている。――「市中で妙な出来事が噂されている。主馬寮、某の家で家具が急に動いたり跳ねたりしだした、というのだが、N曰く、これはき....
丹下左膳」より 著者:林不忘
いる泰軒先生を思い出して、この場合、その助力を借りようと思いたつが早いか、あの司馬寮の焼け跡から、通りかかった辻駕籠をひろい、一散にとばしてきたもので。 ふと....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、厩の神を知りたる人少なしとて、『諸社根元記』と『扶桑略記』より延喜天徳頃|左右馬寮《さうまりょう》に坐せし、生馬の神、保馬の神を挙げ、『書紀』の保食神《うけも....
ほととぎす」より 著者:堀辰雄
と見え、いそいそとして其処此処御礼まわりなどに歩いていたが、その寮《つかさ》(右馬寮)の長官が丁度道綱には叔父にあたる御方なので、其処へも或日お伺いすると、まだ....
源氏物語」より 著者:紫式部
大臣は、清涼殿《せいりょうでん》の正面の階段《きざはし》を下がって拝礼をした。左馬寮《さまりょう》の御馬と蔵人所《くろうどどころ》の鷹《たか》をその時に賜わった....
源氏物語」より 著者:紫式部
漏のない準備ができていた。午前十時に行幸があって、初めに馬場殿へ入御になった。左馬寮、右馬寮の馬が前庭に並べられ、左近衛、右近衛の武官がそれに添って列立した形は....
源氏物語」より 著者:紫式部
強大になっていたため今日の式のはなやかさはすぐれたものに思われた。四十匹の馬が左馬寮、右馬寮、六衛府の官人らによって次々に引かれて出た。おそれ多いお贈り物である....
丹下左膳」より 著者:林不忘
ったのかと見送っていた。 客人大権現《まろうどだいごんげん》に近く……。 司馬寮の焼け跡にころがるように行きついた一同。 「アッ! またあの、隻眼隻腕の侍が....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ぬ。木曾駒か、奥州駒か、あるいは九州の産のものか、どうも見当が附かない。そこで主馬寮の藤波先生、馬術家の山嶋氏などのお説を聞くと、その頃の乗馬として各産地の長所....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
一層気乗りがして来て勉強されて、いろいろ馬を彫られた処、その事が軍馬局に分り、主馬寮に分り、宮内省に分りして、後藤は馬を彫ることは上手だという評判が立って、後に....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ともありまして、何かと宮内省とは縁故がありましたから、今度の楠公の馬については主馬寮の藤波氏にも種々お尋ねした関係もあり木型の出来上がったことも、侍従局から叡聞....