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馬頭観音
「馬頭観音〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
馬頭観音の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い。あるところの石垣の上は彼らの花壇であり、あるところの崖の下は二十三夜もしくは
馬頭観音なぞの祭壇である。 この谷の中だ。木曾地方の人たちが山や林を力にしてい....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
とも、同じ観音さまでも、やさしい顔や相の仏さまだ、とばかり思っていると、中には「
馬頭観音」とて、不動明王にも、勝るとも劣らぬ、恐ろしい姿をしている観音さまもあり....
「鬼涙村」より 著者:牧野信一
白く弓なりに迂廻《うかい》しているので忽《たちま》ち私は彼らの遥《はる》か行手の
馬頭観音の祠《ほこら》の傍らに達し、じっと息を殺して蹲《うずくま》ったまま物音の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
でも秀吉の馬塚(『摂陽群談』九)、吉宗の馬像(『甲子夜話』五一)、その他例多く、
馬頭観音として祀《まつ》ったのも少なからぬ。富田師の『秘密辞林』に、これは明王《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ま》しがったが、まだ夜明け時分ではあり、近いところに店もなし、当惑して見廻すと、
馬頭観音のささやかなお堂の前につるしてあるのが奉納の草鞋です。 「これ、これ、こ....
「野道」より 著者:幸田露伴
るほどちょっとおもしろくその丹ぬりの色の古ぼけ加減が思われる。土橋から少し離れて
馬頭観音が有り無しの陽炎の中に立っている、里の子のわざくれだろう、蓮華草の小束が....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
、まだなかなか信濃の高原などを歩いていて、道ばたに倒れかかっている首のもぎとれた
馬頭観音などをさりげなく見やって、心にもとめずに過ぎてゆく、といったような気軽さ....
「雉子日記」より 著者:堀辰雄
ら、お別れに村の西のはずれの、分去《わかされ》のところまでぶらっと散歩に行った。
馬頭観音《ばとうかんのん》やなんかはまだ雪の中にしょんぼりとしている。二人でその....
「褐色の求道」より 著者:岡本かの子
はまた、日本の田舎の町辻にある涎掛けをかけた石の地蔵とか、柳の落葉をかぶっている
馬頭観音とかいうものの姿が、直ぐ其処らにでも見当るような親しさで、胸に思い出して....
「小説 円朝」より 著者:正岡容
カチリ、カチカチン。 「……越後国|頸城《けいせい》郡林泉寺村真日山林泉寺に
馬頭観音と祭られたる法性月毛の十寸六寸《ときろくすん》にあまる名馬に打ち跨り……....
「山の人生」より 著者:柳田国男
、臨時の祭をした記念なること、あたかも馬が急死するとその場処において供養を営み、
馬頭観音もしくは庚申塔などを立てるのと同じく、しかも何の不思議かと問えば、たいて....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
んで浅間三宿といったのだそうです。大名行列で随分盛んだったでしょう。その追分には
馬頭観音が立っているんですがね、いつか行って見た時には、まだ早春で枯草の中にぺん....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
地方によって少しずつちがい、また存外に似ていることもある。東京のまわりに多いのは
馬頭観音、これなどは西日本の方ではあまり見かけない。全国に亙って最も普通なのは石....