駒込[語句情報] » 駒込

「駒込〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

駒込の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の羽織も剥《は》がれていた。忠三郎は声をあげて泣き出した。 峰蔵は親切な男で、駒込《こまごめ》まで行かなければならない自分の用を打っちゃって置いて、泥だらけの....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
種になるわけで、ズウフラ怪談とでも申しましょうか」 安政四年九月のことである。駒込富士前|町の裏手、俗に富士裏というあたりから、鷹匠屋敷の附近にかけて、一種の....
河明り」より 著者:岡本かの子
の目に触れることは出来なくなった。 「大昔、この川の優勢だったことは、あの本郷|駒込台とこちらの上野|谷中台との間はこの川の作った谷合いだと申します。調べると両....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
はてな、林町と、林町は小石川だったかしら」 「本郷にも林町はありゃしませんかね、駒込林町と云うのが」 岸本は云った。 「ふん、然し、駒込はついていなかったんだ....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
へ周旋を頼んで置きますと、渡邊織江の家来|船上忠助という者の妹お菊というて、もと駒込片町に居り、当時|本郷春木町にいる木具屋岩吉の娘がありました。今年十八で器量....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
にある富士山の形に擬えた小富士や、富士権現を勧請した小社に、市民が陸続参詣した。駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒|行人坂などが、その主....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
でとうとう十日ばかりの間どっちともはっきりしませんでしたよ。」 こんどだって、駒込の家はやはり狭いし、そとから十分のぞかれる。すぐ前のあき地の小さな稲荷さんの....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
りませんよ。 九時ちょッと前か、八時半か、とこれが後日の問題になったのは、本郷駒込の母里大学という役人の邸の話。このへんはお寺の多いところで、八百屋お七ゆかり....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
紋太郎は邸を出て、写山楼へ行くことにした。 当時写山楼の在り場所といえば、本郷駒込林町で、附近に有名な太田ノ原がある。太田道灌の邸跡でいまだに物凄い池などがあ....
夢のお七」より 著者:岡本綺堂
が、その傍に建てられた。ある人がその子細をたずねると、円乗寺の住職はこう語った。駒込の天沢山龍光寺は京極佐渡守高矩の菩提寺で、屋敷の足軽がたびたび墓掃除にかよっ....
紅色ダイヤ」より 著者:小酒井不木
針で穴のあけてある文字に、点を打ってその新聞記事を写し取ってみましょう。 「本郷駒込富士前の理化学研究所、近藤研究室で、整色写真化学の研究を行っておく苦心してい....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
不得手で、神田にある東京中学校と、大成中学校を受けたが二つとも落第。最後に、本郷駒込の郁文中学を受けて辛うじて四年の二学期に入学を許された。その試験は、八月の末....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
まりにはかない終り方でした。兄が逝いてから八年、七十六歳だったのです。 お墓は駒込|吉祥寺で、山門を入って右側です。本郷にいます頃は近いものですから、庭の花を....
妖怪学」より 著者:井上円了
あるによるなどと申す由に聞き及べり。 しかるにまた、先年ある人の話に、東京府下駒込辺りのある信者の家に、念仏行者体のもの止宿して、参詣人の手の掌中に「仏」の字....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
なかったが、緑雨の一番古い友達の野崎左文と一番新らしい親友の馬場孤蝶との肝煎で、駒込の菩提所で告別式を行った。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪....