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「駕輿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

駕輿の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討たれ戯作」より 著者:林不忘
むべしとなしていた。この驕々たる三馬が一日思い立って日本橋から遠い四谷の端れまで駕輿《かご》をやったのは、狂歌師|宿屋《やどや》飯盛《めしもり》としての雅望と、....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
瀬童子の如きは、本来筋の違う山人の子孫であるという事を以て、御所に薪炭を供給し、駕輿丁にも採用されたので、後の世までも一種変った伝説と風俗とを保持し、御所と特別....
私本太平記」より 著者:吉川英治
」によれば、途中、牛車はすてて怪しげな張輿に召し換えられたとある。 かつまた、駕輿丁の雑人をつれていたわけでもないので、そのおん輿は、大膳ノ大夫|重康、楽人の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
賢所の神器を、玉体にお添えし、鳳輦へと、お急き立てはしたものの、それをかつぐ駕輿丁の者はいず、ぜひなく、衛府の士が前後を担いまいらせる。また、供奉の公卿も、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
元々、ここにあった三種の神器は偽物と知れているので、扱いもぞんざいをきわめ、駕輿丁の小者や武士らが鳳輦で無造作にかついで行った――と公賢自身の日記にも書かれ....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
鎌倉・室町時代には、キヨメ或いは河原ノ者と呼ばれて、社寺都邑の掃除夫・井戸掘り・駕輿丁・植木屋などの雑職をつとめ、勿論その職掌上、世間から幾分賤視されてはいたで....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
多」は井戸掘り人足であった。また貞治四年「師茂記」に見える「穢多」は祇園御霊会の駕輿丁であった。文安の「※嚢抄」に見える「エッタ」は河原の者と云っておった。これ....