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駘
「駘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
駘の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
であろう。そうしてまた、如何に彼は、その放埓の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した
駘蕩《たいとう》たる瞬間を、味った事であろう。彼は己《おのれ》を欺いて、この事実....
「散華」より 著者:太宰治
自分が、その八寸五分のスマートに他ならぬと固く信じて疑わぬ有様で、まことに春風|
駘蕩とでも申すべきであって、 「僕の顔にだって、欠点はあるんですよ、誰も気がつい....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
る陽春の気は野に丘に満ち、快い微風は戦士等の窶れた頬を撫でて居る。ともすれば懶い
駘蕩たる春霞の中にあって、十万七千の包囲軍はひしひしと犇き合って小田原城に迫って....
「パンドラの匣」より 著者:太宰治
来たような按配でもあったのだ。「桜の間」は、越後獅子の人徳のおかげか、まあ、春風
駘蕩の部屋である。こんどの回覧板も、これはひどい、とまず、かっぽれが不承知を称え....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
ようと思うよ。」とんでもない「それについて」である。 「あいあい、」と女房は春風
駘蕩たる面持で、「一年でも二年でも、ゆっくり御養生しておいでなさい。まだお若いの....
「惜別」より 著者:太宰治
った程で、とにかく、藤野先生の講義そのものは、決して私の予期していたような春風|
駘蕩たるものではなく、痛々しいくらいに、まじめで、むきなものであった。もっとも、....
「ジャーナリズム雑感」より 著者:寺田寅彦
の狂風が自分で自分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする
駘蕩の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。 それにしても毎日毎....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
のごとき果断をもっている。もし久保井校長が春なら熊田校長は冬である、前者は春風|
駘蕩、後者は寒風|凛烈! どんなに寒い日でも熊田校長は外套を着ない、校長室に火鉢....
「勝負師」より 著者:織田作之助
とこだっせ。あんたも間違えんようしっかり考えなはれや」と相手をいたわるような春風
駘蕩の口を利いたりした。 けれども、対局場の隣の部屋で聴いていると、両人の「ハ....
「人間山中貞雄」より 著者:伊丹万作
もいない。私の見た山中の人間のよさや味はその作品とは何の関係もない。私はあの春風
駘蕩たる彼の貴重な顔を眺めながら神経質な彼の作品を思い出したことは一度もない。 ....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
が、その帰り道に二人は神仙体の俳句を作ろうなどと言って彼れ一句、これ一句、春風|
駘蕩たる野道をとぼとぼと歩きながら句を拾うのであった。この神仙体の句はその後村上....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
お逢い遊ばせばわかる事、お手間は取らせませぬ、と手がのびて袂を曳かれると春風今を
駘蕩に、蕨、独活の香に酔ったほど、馬は、うかうかと歩行き出したが、横畷少しばかり....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
た明月の清輝を放つを望む。 十五日、晴れ。前日のごとく、秋期にもかかわらず春天
駘蕩の趣あり。午前、今回南アフリカ行を約するホワイトスター会社汽船ペルシック号を....
「徹底的な浜尾君」より 著者:甲賀三郎
いは若干浜尾君にもあったようである。だから浜尾君をよく知らないものは、彼から春風
駘蕩たるものを感ずるよりは、秋霜烈々たるものを感ずる事が多かったらしい。私がここ....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
風や」といってその下に人が道を歩きつつあるというような発句があるとすると、春風が
駘蕩と吹いている、そういうのどかな春の日に人が歩いているというので、そこで前の単....