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駿府
「駿府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
駿府の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
嫁いだという噂ですが、多分まだ生きているでしょう。お俊という奴は江戸を食いつめて
駿府へ流れ込んで、そこでお仕置になったとか聞いています」....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
けれど、喧嘩の基はそれじゃないんです。家のお父っさんが柳橋を引き払って、沼津とか
駿府とか遠いところへ引っ越してしまおうというのを、姉さんが忌だと云って……」 「....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
親分。やられた。人殺しだ」 半七も起き直った。多吉の話によると、裏二階に泊った
駿府(静岡)の商人の二人づれが何者にか殺されて、胴巻の金を盗まれたというのであっ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
そりゃあ私だってこうなったら仕方がない。そうして、これからどこへ行く積りだ」 「
駿府の在にちっとばかり識っている人があるから、ともかくもそこへ頼って行って、ほと....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
転封を約したのであろう。 三月中旬に、大阪より青木一重、淀君の妹の常高院などが
駿府に下り、家康に増封を請願しているのでも分る。大阪方では、集った諸浪人の扶持の....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
東西の感情融和に、反間苦肉の策をめぐらしていたように書いてあるが、嘘である。 『
駿府記』など見ると、且元、秀頼の勘気に触れて、大阪城退出後、京都二条の家康の陣屋....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
信雄なんかが策動して、家康を焚き付けたことは想像出来るのである。だから先に秀吉が
駿府城に迎えられた時、率直な秀吉は馬から下るやずかずかと進み、信雄、家康逆心あり....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
分の口から話した。幕府が瓦解の後、久住は無禄移住をねがい出て、旧主君にしたがって
駿府(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって
駿府へ移ったが、も....
「三甚内」より 著者:国枝史郎
よりよくなったことも若干かはある。散在していた風呂屋女を吉原の土地へ一つに集め、
駿府の遊女町を持って来たなどは確かに面白い考えだ」 こんなことを云いながら、そ....
「戯作者」より 著者:国枝史郎
琴が何とも云わず、程経て辞して帰ったのは、笑止千萬のことであった。 一九の父は
駿府の同心、一生不遇で世を終わったが、それが一九に遺伝したか、少年時代から悪賢く....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
学の道場を構えている柴田三郎兵衛の宅へ押し寄せた。 彼等の巨魁由井正雪は、既に
駿府へ発した後で、牛込榎町の留守宅には佐原重兵衛が籠もっていたが、ここへ取り詰め....
「有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
自分の口から話した。幕府が瓦解の後、久住は無禄移住を願い出て、旧主君にしたがって
駿府(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって
駿府へ移ったが、も....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
に分かれて大いに争った。 春日局は家光を擁し、これを午前中の出生なりと主張して
駿府へ乗り込み家康に迫って勝利を博した。当時、増上寺の地続きに金地院という寺があ....
「曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
日。どうせこゝまで来たことだからと、筮竹《ぜいちく》と天眼鏡を荷厄介にしながら、
駿府《すんぷ》まで伸《の》して見たのだったが、これが少しも商売にならず。漸く旅籠....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
ぬ事もない。かの皮細工人の如きは、もとはエタでなかったのかもしれぬ。今川氏時代の
駿府のエタは明らかに「川田」と呼ばれておった。徳川時代になっても、上方地方のエタ....