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「驍将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

驍将の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
姉川合戦」より 著者:菊池寛
長の陣が十三段の備えの内十一段まで崩れたというから、木下秀吉、柴田勝家、森可成の驍将達も一時は相当やられたらしい。一時は姉川から十町ばかりを退却したというから、....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
縅の鎧に錆色の星冑|鍬形打ったのを着け、白旗の指物なびかせた老武者がある。武田の驍将馬場美濃守信房である。手勢七百を二手に分けると見ると、さっと一手を率いて真一....
運命」より 著者:幸田露伴
の南師、聞く者皆解体す。此戦、軍を全くして退く者、徐輝祖あるのみ。瞿能、平安等、驍将無きにあらずと雖も、景隆凡器にして将材にあらず。燕王父子、天縦の豪雄に加うる....
読書法」より 著者:戸坂潤
である所のディルタイは、云う迄もなくプロテスタントであり、嘗てのプロテスタントの驍将シュライエルマッハーの後を継ぐものである。従ってそれだけハイデッガーの哲学は....
鼻の表現」より 著者:夢野久作
性格が鼻に現われているからであります。 戦場|場数の豪の者、千軍万馬を往来した驍将の鼻には、どことなく荒涼凄惨たる戦場の殺気を彷彿せしむべき或るものがあります....
端午節」より 著者:井上紅梅
た未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の驍将となった。二三の新聞には彼等を卑み笑う文字がはなはだ多く現われたが、方玄綽は....
三国志」より 著者:吉川英治
である。 「いや、彼を甘く見てはいけません。なんといっても曹操は当代では異色ある驍将です。ことに以前とちがって、彼の下には近ごろ有数な文官や武将が集まっています....
三国志」より 著者:吉川英治
大言はあとでいえ」 若い徐晃は、血気にまかせた。しかし弱冠ながら彼も曹幕の一|驍将だ。そうむざむざとはあしらえない。 大剣と白焔斧は、三十余合の火華をまじえ....
三国志」より 著者:吉川英治
し、身は綿のように疲れている。しかも今、その図に乗って、強襲してきたのは、曹軍の驍将文聘と麾下の猛兵だった。 長坂橋の上から、小手をかざして見ていた張飛は、月....
三国志」より 著者:吉川英治
合った。 その中には、虎痴許※をはじめとして、夏侯淵、徐晃、曹洪などの曹軍中の驍将はことごとく出揃っている。馬超は、ぎょッとして、 「さてはすでに、手筈はとと....
三国志」より 著者:吉川英治
軍議をこらし、その結果、 (敵の備えなきを打つ)と、奇襲戦法をとることになった。驍将張球は、もっとも壮な軽兵五千をひっさげて、湖口より攻めかかり、背には沢山の投....
私本太平記」より 著者:吉川英治
にお生れあったのが御不運なので、われら同様、武門の子であったなら、怖らくは一方の驍将として、晴れやかな御一生を遂げえたやも知れません」 「いやいや、たとえ非業に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
逃げきれなかったかもわからない。――が、なぜか義貞はそれを敢行しなかった。野戦の驍将も海には自信がなく、ふとためらいを抱いたのか、でなければ、 「これほどに打ち....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て伊勢に、北畠親房、河内和泉には、四条|隆資と、それぞれの地に、それぞれな宮方の驍将がたたかっている。あるいは、四隣の兵を糾合して、次の地盤をつくりつつある。―....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
外また策の施すべき術もない有様となった。 ダウンは自ら大王をザクセンに抑留し、驍将ラウドンをしてシュレージエンに作戦せしめた。大王は再三シュレージエンの危急を....