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驥
「驥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
驥の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取り入るためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の
驥尾《きび》に附して、日本橋筋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古....
「猿飛佐助」より 著者:織田作之助
自己嫌悪が欠伸と同時に出て来た。 既に生真面目が看板の教授連や物々しさが売物の
驥尾の蠅や深刻癖の架空嫌いや、おのれの無力卑屈を無力卑屈としてさらけ出すのを悦ぶ....
「運命」より 著者:幸田露伴
管楽に擬したるが如く、思慕して而して倣模せるところありしなるべし。詩に曰く、 良
驥 色 羣に同じく、 至人 迹 俗に混ず。 知己 苟も遇はざれば、 終世 怨み※....
「三月三十日」より 著者:太宰治
です。日本には、戦争の時には、ちっとも役に立たなくても、平和になると、のびのびと
驥足をのばし、美しい平和の歌を歌い上げる作家も、いるのだということを、お忘れにな....
「雨」より 著者:織田作之助
めだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の相弟子たる光栄に浴していた。なお校長の
驥尾に附して、日本橋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文し....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
なぐったという麒麟児であり、壮年の頃江戸へ出て、根岸お行の松へ道場を構え、大いに
驥足を展ばそうとしたが、この人にしてこの病いあり、女は好き酒は結構、勝負事は大好....
「四月馬鹿」より 著者:織田作之助
ずかしい。それに、ふと手離すのが惜しくなって、――というのは、私もまた武田さんの
驥尾に附してその時計を机の上にのせて置きたくて、到頭送らずじまいになってしまった....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
始性に憧れねばならないほどの近代性がなかった以上滑稽であり、よしんば、小林秀雄の
驥尾に附して、志賀直哉の原始性を認めるとしても、これは可能性の極限ではなく、むし....
「夜の構図」より 著者:織田作之助
」 と、クロムランク(註。仏蘭西の劇作家「堂々たるコキユ」という戯曲の作者)の
驥尾に附して形容すべきか。 デカダンスもこれくらい徹底すれば、もう信吉も歯が立....
「キビキビした青年紳士」より 著者:甲賀三郎
た。当時雨村君にも未だ作者の正体がよく分っていなかったらしい。 そのうちに私も
驥尾に附して一二篇新青年誌上へ発表するに至ったが、その自分に前述のO君が或る日の....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
的狷介や道学的潔癖が飛出して累をなしたであろうが、それでももしいよいよその方面に
驥足を伸ぶる機会が与えられたら、強ち失敗に終るとも定められなかった、あるいは意外....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
機会から全露を大混乱に陥れる時がある」とはしばしば云い云いした。「その時が日本の
驥足を伸ぶべき時、自分が一世一代の飛躍を試むべき時だ」と畑水練の気焔を良く挙げた....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
として、その他の諸先輩によって一往完成せられたものであった。そして余輩はただその
驥尾に附して、当時関野・平子の両君によって発表せられた新研究を論破せんとするの外....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
神にして持ち出すことなら、
己にも随分出来そうだからな。
前「時代精神」
驥尾に附すと云うことが出来れば、
なんにでもなれる。己の裾に攫まれ。
ブロッケン....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
国木田独歩、島崎藤村、柳田国男、田山花袋、中沢臨川、蒲原有明などという先輩の
驥尾に付して武林繁雄(無想庵)や私なども、よくその会へ出た。 竜土軒の最初の発....