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「高僧伝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高僧伝の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
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十二支考」より 著者:南方熊楠
世これを崇めて達磨と称うとしばしば聞いたと筆せるはトメと達磨《タマ》と音近く『続高僧伝』等皆達磨を南天竺から支那へ来たとしたかららしい、尊者《サン》トメ山とてそ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
奴竜に向い拝すると、倉|即《やがて》盈溢《みちあふ》る(『淵鑑類函』四三七)。『高僧伝』三に、〈迦施《かし》国白耳竜あり、毎《つね》に衆僧と約し、国内豊熟せしむ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
今よりおよそ千五百四十年前、邪視は今よりおよそ千百三十年前既にあったと知らる(『高僧伝』巻一、『宋高僧伝』巻三)。而《しか》して石田君が『晋書』から引かれた衛※....
十二支考」より 著者:南方熊楠
一七六)、昔博通多学の婆羅門が仏教に対して梵教を支那で興しに来た記録もあれば(『高僧伝』六)、甚目寺等で猴像に子を乞うのはあるいはハヌマン崇拝から転化したのかと....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
語って聞かせました。 三十七 五大院の安然に就いては、「本朝高僧伝」には次の如くに記してあります。 「初め慈覚大師に随つて学び、後、辺昭僧....
十二支考」より 著者:南方熊楠
。ヘロドトスの『史書』にもエジプト王がこの通り鼠の加勢で敵に勝った話を出す。『宋高僧伝』一には天宝中西蕃、大石、康の三国の兵が西涼府《せいりょうふ》を囲む、玄宗....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
和四年六月発行の白井光太郎博士著『植物渡来考』ボダイジュの条下に「支那原産、本朝高僧伝及元亨釈書に後鳥羽帝の御宇僧栄西入宋し天台山にあり道邃《どうずい》法師所栽....
法然行伝」より 著者:中里介山
したのだ」と。 支那でも浄土の法門を述べる人師は多いけれども、法然は唐宋二代の高僧伝の中から曇鸞《どんらん》、道綽《どうしゃく》、善導《ぜんどう》、懐感《えか....