高坂弾正[語句情報] » 高坂弾正

「高坂弾正〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高坂弾正の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
川中島合戦」より 著者:菊池寛
光寺から川中島を南進し、海津城の前面を悠々通って妻女山に到着した。 甲の名将|高坂弾正昌信の守る堅城の前後を会釈もなく通って、敵地深く侵入して妻女山に占拠した....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
であった。 土屋庄八郎昌猛はこれほど勝れた人物であったが家庭的には不幸の人で、高坂弾正の娘であり己が妻であるお妙の方を信ずることが出来なかった。お妙の方には恋....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
一 お銀様は今、竜之助のために甲陽軍鑑の一冊を読みはじめました。 「某《それがし》は高坂弾正《かうさかだんじやう》と申して、信玄公|被管《ひくわん》の内にて一の臆病....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
賊に過ぎないのであります。姓を高坂《こうさか》といって、名は甚内。父は甲陽の軍師高坂弾正であるということです。 「天晴《あっぱ》れ手練のこの槍先、受けてはたまら....
決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
を待てばよかったのである。信玄は我から四五丁離れたところに陣をたてた。 信玄は高坂弾正に一万二千の兵を附し、山伝いに余の背後から突き落す策戦だった由である。信....
三甚内」より 著者:国枝史郎
事は鳥獣よりも身体軽く、ゆえに自ら飛沢と号す。 勾坂甚内の生長は、甲州武田の長臣高坂弾正が子にして、幼名を甚太郎と号しけるに、程なく勝頼亡び真忠の士多く討ち死に....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
を持つのである。 この書は、それ自身の標榜するところによると、武田信玄の老臣|高坂弾正信昌が、勝頼の長篠敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったということにな....