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高山樗牛
「高山樗牛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
高山樗牛の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
事に傾いていた。自然主義は思想生活の根底となり、当時病天才の名をほしいままにした
高山樗牛《たかやまちょぎゅう》らの一団はニイチェの思想を標榜《ひょうぼう》して「....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
々した其顔は、一見不安の念を余に起さした。君は医学を専門にして居たが、文芸を好み
高山樗牛の崇拝者で、兄弟打連れて駿州竜華寺に樗牛の墓を弔うたりした。君の親戚が当....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
処で、日本に稀なる四人の文芸批評家の出現を省《かえり》みなければならない。即ち、
高山樗牛、森鴎外、坪内逍遥、島村抱月が之である。当時、我国には前述の如く、通俗小....
「ニイチェに就いての雑感」より 著者:萩原朔太郎
は、日本の文壇に早くから紹介されて居た。生田長江氏がその全訳を出す以前にも、既に
高山樗牛、登張竹風等の諸氏によつて、早く既に明治時代からニイチェが紹介されて居た....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
「美的生活論」を書いて、後世から支配する者のロマンティシズムとして認められている
高山樗牛のロマンティック思想と本質をひとしくするものであり、ロマンティシズムとし....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
て好いだろう(『ニーチェ研究』と『ゼーレン・キェルケゴール』)。ニーチェはすでに
高山樗牛などによってわが国でも非常に有名にされてい、又云うまでもなく欧州ではニー....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
の生涯 山川智応 日蓮聖人伝十講 有朋堂文庫 日蓮聖人文集 室伏高信 立正安国論
高山樗牛 日蓮とはいかなる人ぞ 姉崎正治 法華経の行者日蓮 倉田百三 祖国への愛....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
生の真理を探求するのです」 「つまりどんな人になるのだ、言って見れば」 「まあ、
高山樗牛とか、大西祝とか言ったような人です」 「ふうーむ」 と父は考えに沈んだ....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
いずれの文学も下劣極る文学だったことが注目に価する。そして、なお日清戦争後には、
高山樗牛の日本主義の主張が起り、日露戦争後には、岩野泡鳴の国粋主義の主張が起った....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
常に新しいものであった。線のない絵を描いたり色々と新機軸を出した。その為に今度は
高山樗牛が美術評論を発表するなど、なかなか華々しい有様であった。 岡倉先生がい....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
濤君の斡旋で成立したらしく、西園寺侯を主賓として、福地桜痴、末松青萍、尾崎紅葉、
高山樗牛の四氏、ほかに松居君と榎本虎彦君とわたしの三人が加えられた。勿論、はじめ....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
跋扈モヤムヲ得ザルナリ――と清盛の法皇幽閉の挙を、やむをえない処置と論じている。
高山樗牛の平清盛論や辻博士の論評など、以前から清盛の弁護者は少なくなかった。けれ....