高松[語句情報] »
高松
「高松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
高松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「屋上の狂人」より 著者:菊池寛
るで自分の気違いを広告しとるようなもんや。勝島の天狗《てんぐ》気違いというたら、
高松へまで噂がきこえとるいうて末がいいよって。 吉治 島の人は狐がとり憑《つ》い....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
一 鳥羽伏見の戦で、讃岐
高松藩は、もろくも朝敵の汚名を取ってしまった。 祖先が、水戸黄門光圀の兄の頼重....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
川が流れているという道具立ですから、大抵お察しください。その六軒町というところに
高松勘兵衛という二百俵取りの御家人が住んでいました。 いつぞやは御家人たちの内....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
居た。さて最後に、羽柴筑前守秀吉であるが、当時、中国の毛利大膳大夫輝元を攻めて、
高松城水攻をやっていたが、京都の凶報が秀吉の陣に達したのは、六月三日|子の刻であ....
「くろがね天狗」より 著者:海野十三
を、へへッとまた畳とすれすれに下げた。 「まことに以て面目次第も御座りませぬが、
高松半之丞様御行方のところは、只今もって相分りませぬような仕儀で……」 「なに、....
「こま犬」より 著者:岡本綺堂
たあの山木という人の娘で、八年前に見た時にはまだ小学校へ通っていたらしかったが、
高松あたりの女学校を去年卒業して、ことしはもう二十歳になるとか聞いていた。どちら....
「画道と女性」より 著者:上村松園
高松宮家へ御輿入になる徳川喜久子姫の御調度の一にお加えになるのだからと申すので、....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
四年 「伊勢大輔」「新螢」伊太利日本画展出品 同 五年 「春秋二曲屏風一双」
高松宮家御用画 同 六年 「虫ぼし」独逸ベルリン日本画展出品 同 七年 ....
「虹と感興」より 著者:上村松園
、私としてはかなり苦心してみました。 私はこの前、徳川喜久子姫の御入輿に、今は
高松宮家に納まっています一双の御屏風も、これに似た調子のものでして、これにも萩を....
「帝展の美人画」より 著者:上村松園
も、この二、三年追われずくめでして、まだ先年からの御用画も出来ていませず、それに
高松宮様にお輿入れの徳川喜久子姫さまがお持ちになる二曲一双の日が迫っており、一方....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
むけて出陣した。 織田信長が本能寺で明智光秀に攻めほろぼされた時に、秀吉は備中
高松から引っ返して来て、まずこの姫山の城で軍議を開いて、亡君の弔いいくさのために....
「瓜の涙」より 著者:泉鏡花
が咲くか、と見える。 三 「――あすこに鮹が居ます――」 とこの
高松の梢に掛った藤の花を指して、連の職人が、いまのその話をした時は…… ちょう....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
だと夢のようです。 はじめ、河北潟を渡って――可心は、あの湖を舟で渡った。――
高松で一夜宿、国境になりますな。それから末松の方へ、能登浦、第一歩の草鞋を踏むと....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
た。 一体俊成の出た御子左の家は御堂関白道長の子|長家から出た。道長には倫子と
高松殿と北政所が二人あるといわれたほどであったが、やはり嫡妻倫子腹の頼通の子孫か....
「雨」より 著者:織田作之助
校長はお君の拍手に満悦であった。 三七日の夜、親族会議がひらかれた席上、四国の
高松から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、お君の籍は実家に戻し、豹一も金助....