高津[語句情報] » 高津

「高津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夫婦善哉」より 著者:織田作之助
一ぺん俺《おれ》の後へ随《つ》いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津《こうづ》の湯豆腐屋《ゆどうふや》、下は夜店のドテ焼、粕饅頭《かすまんじゅう....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
豹一は到頭腹を立てた。 「後へ下ったら、二つ井戸まで行ってしまいまっせ。なんなら高津さんまで行きまひょか」 ここで喧嘩していては、多鶴子の車を見失うと思ったの....
わが町」より 著者:織田作之助
明るいうちに配ってしまわぬと、帰りの寺町がひっそりと暗くて怖い。十歳の足で、高津神社の裏門の石段を、ある夕方、ひと日、ふた日は晴れたれど、三日、四日、五日は....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
雑誌を出そうと約束していた近藤憲二、和田久太郎等のほかに、近藤栄蔵(別名伊井敬)高津正道等と一緒に、週刊『労働運動』を創めた。前の二人は無政府主義者で、後の二人....
南地心中」より 著者:泉鏡花
……咒詛も、恋も、情も、慾も、意地張も同じ事。……その時|鳩尾に巻いていたのは、高津辺の蛇屋で売ります……大瓶の中にぞろぞろ、という一件もので、貴方御存じですか....
大阪発見」より 著者:織田作之助
前気がとがめたのか、それとも、やはり一ぺん位夫婦仲の良い気持を味いたかったのか、高津の黒焼屋へ出掛けた。 湯豆腐屋で名高い高津神社の附近には薬屋が多く、表門筋....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
事はさすがに手に余ったのでしょう。ある冬の朝、下肥えを汲みに大阪へ出たついでに、高津の私の生家へ立ち寄って言うのには、四つになる長女に守をさせられぬこともないが....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
日だっせ、なんし、ここの灸と来たら……途端に想いだしたのは、当時丹造が住んでいた高津四番丁の飴屋の路地のはいり口に、ひっそりひとり二階借りしていたおかね婆さんの....
誓之巻」より 著者:泉鏡花
あの時は驚きましたっけねえ、新さん。」 とミリヤアドの顔嬉しげに打まもりつつ、高津は予を見向きていう。ミリヤアドの容体はおもいしより安らかにて、夏の半一|度そ....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
モマケズニ言文一致デコノ手紙ヲシタタメテ差上ゲマス、今ニ三輪田君ノ梅見ニ誘ウ文、高津君ノ悔ミノ文ナドヲ凌駕スルコトト思召シ下サイ 久シクオ目ニカカリマセヌガ、コ....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
者と、実際の面に即した者と、二つの流れが出てきた。 思想的に行こうとするのは、高津正道氏などがその側で、あの人達は、だんだん発展して、日本における最初の共産党....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
”も、当時の思想界の変動とともに急進派と合理派に分れる羽目になり、急進派の学生は高津正道氏らを中心に暁民会を作り、暁民共産党に発展した。一方、私たちは北沢新次郎....
古事記」より 著者:太安万侶
ノイリ彦の命は、血沼《ちぬ》の池・狹山《さやま》の池を作り、また日下《くさか》の高津《たかつ》の池をお作りになりました。また鳥取《ととり》の河上《かわかみ》の宮....
四つの都」より 著者:織田作之助
大阪は木のない都である。しかし例えば、晴れた日に下寺町附近に立って、北より順に高津の高台、生玉の高台、夕陽丘の高台を仰げば、そこには何百年も前からの静けさをし....
わが町」より 著者:織田作之助
明るいうちに配ってしまわぬと、帰りの寺町がひっそりと暗くて怖い。十歳の足で、高津神社の裏門の石段を、ある日、あわてて降り、黒焼屋の前まで来ると、 「次郎ぼん....