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高田馬場
「高田馬場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
高田馬場の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
子分たちも揃っていながら、何のことだ。そうして、どこへ行っているのだ」 「実は、
高田馬場の近所へ……」と、お力は答えた。「白井屋という小料理屋にわたくしの妹が縁....
「如是我聞」より 著者:太宰治
つぎ、その遺産の使途の一つとして兄は、所謂世界漫遊を思い立った様子なのである。)
高田馬場の私の下宿の、近くにあったおそばやで、 「おまえも一緒に行かないか、どう....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
楽しかったであろうに。馬鹿馬鹿しい。 でも、きょうはいい天気だった。帰りには、
高田馬場の吉田書店に寄って、ゆっくり古本を漁った。時々、目まいが起る。テアトロ数....
「僕の昔」より 著者:夏目漱石
井町《きくいちょう》を降りてきた所に――の向かいに小倉屋《おぐらや》という、それ
高田馬場の敵討《あだうち》の堀部|武庸《たけつね》かね、あの男が、あすこで酒を立....
「ある回想から」より 著者:宮本百合子
、いずれ――」 わかれて、省線にのり、やはり「きんとん」の包みをかばいながら、
高田馬場からなじみふかい小瀧橋への通りを歩きながら、なんともいえず奇妙な落つけな....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
伸せるだけのして見ようと駅で掲示を見る、この線の終点は川越駅になっている、発駅は
高田馬場である、そこで六十何銭かを投じて川越駅までの切符を求めた。 特に川越を....
「大望をいだく河童」より 著者:坂口安吾
々敬礼された。何先生が僕に似ているのか気にかかった。 まだ焼けて幾日にもならぬ
高田馬場駅で、夜であったが、軍服の青年(将校らしい)に挨拶され、第二高等学院の何....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
一役を演じているのではないかということが一部の消息通に取沙汰されたこともあった。
高田馬場の安兵衛の仇討跡から、太田道灌の山吹の里の谷をわたって目白の高台を登って....
「日記」より 著者:宮本百合子
で二人で高楠先生の処へ行く。今日京都へ立たれると云うので。 丁度出かけに会い、
高田馬場まで一緒に来る。Aのケイメイカイの方も出来、大学の方も出来、あのペルシア....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
話し、早稲田専門学校に坪内先生のセークスピヤの講義を聴くことをも一つの目的として
高田馬場のある家に寓居を卜した。此の家はもと死んだ古白君の長く仮寓していた家であ....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
舎としてはかなり繁華な一部落であったらしい。かの堀部安兵衛武庸も八丁堀の浪宅から
高田馬場へ駈け付けの途次、この馬場下の何とやらいう酒屋で兜酒を極めたとて震災前ま....
「帯広まで」より 著者:林芙美子
争議が何度かあったが、九太はあきらめたように新市区の映画館を渡り歩き、三年目には
高田馬場の小さな映画館の楽士になっていた。その頃の九太にとっては、乾いたような何....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
幡附近も、すぐ下に高等学院が出来たりしたためもあって、馬場下の通りでも、坂上の旧
高田馬場跡の下戸塚通りでも、見違えるほど明るい繁華な町になった。 実は私は大学....